「日々のエトセトラ」カテゴリーアーカイブ

ワクワクするおもろい社会を、みんなで創る。

金曜日のこと。
この日の昼休みは、ある先輩が日南から仕事で宮崎市内に出てこられるということで、ランチをご一緒しました。
いろいろ話をしましたが、仕事のことや地域社会のことを前向きに考えていらっしゃる方とのお話というのは大変楽しいものです。

私もその先輩も、30代40代ということで、社会における『責任世代』であると言えます。
子育て世代でもありますし、地域社会においても、それぞれが仕事をする組織・分野においても中核をなす世代です。

私も子供を持って改めて思うのは、この子供達に対して、まっとうな社会を引き継ぐことができなかったら、誰のせいでもなくまさに自分たちの責任だということです。
「自分たち」という言葉を使ってしまうと少しあいまいになるので、私は普段から「自分自身の責任」であると考えています。

これまでの日本が、平和で、先進国の一つとして豊かな国でいられるのは、これまでの先輩方が本当に努力をされてきたからだと思います。
しかし、今の日本は、自殺者が年間3万人を超え、将来に対して漠然とした不安を抱えている人が多数存在するような社会になりつつあります。

問題が大きすぎてどこから手を付けていいのか・・という感じもしますし、国政のゴタゴタがけしからんと言うのも(事実ですが)非常に安易で、それだけでは何の解決にもなりません。

まずは、自分が住む地域社会を充実したものにしたいと私は考えます。
これは、まず身近にできることから始められるからです。

地域に住む大人が、「自分たちのところは自分たちで良くするぞ」と動き出せば、何かが変わりだすと思います。
そういう地域モデルを実践し、成功させて、『日南モデル』として、この国全体に提示したいです。

そして、全国にそういう人材がどんどん出てくれば、地域は強くなり、その集合体である国家全体も強くなるはず。
最終的には、『強い国民をつくる』というのが目指すべきところだと思います。
つまり、「自分の人生や地域社会は自分たちで良くするぞ」と自ら動くことができる大人が地域にいっぱい出てくるということです。
まずは、自分自身がそうあらねば。頑張ります!

清山県議VS経営管理課若手
この日の夜は、とある若手地方議員と2、30代の若者との異業種交流会的飲み会を行いました。
企画者は私です。
普通の若者は、あまり政治家と話をしたことがないわけなので、最初は少し硬めでしたが、途中からはざっくばらんにイロイロ議論ができて、非常に良かったと思います!
Kさん、ありがとうございました。

みんなで、ワクワクする、おもろい社会を創っていきましょう。

沖縄のことから。

20110425①20110425②

20110425③
1週間の始まりなのに、・・寝不足です。
ほんとに時間はうまく使わねば。

特に日南は雨が降らないことによる水不足が深刻で本当に心配ですが、しっかし、宮崎は本当に気持ち良い春の日差しの毎日です。
県庁周辺の新緑もとてもきれいです。

ということで疲れなんて吹き飛ばして、今週も張り切って頑張りましょう。

先週は、厚生労働省時代(平成21年度)に、同じ課で一緒に仕事をした沖縄県職員のT原さんと飲みました。
宮崎に出張があったということで連絡をいただき、夜だけ御一緒させていただきました。

T原さんは、私と同様に県からの派遣職員として、同じ課に机を並べました。
省庁への派遣は、都道府県や市区町村、民間企業などから行われています。
私がいた厚労省の福祉部署(課)には、県庁からは宮崎県(私)と沖縄県(T原さん)、東北や東京都内の市区町村、民間企業などなどの方がいました。
(ちなみに私の前の席は、銀行から来られた方でして、本当にいろんなところから派遣されていました。)

桃原さんとこのT原さんには、一年くらい前に私が別件で沖縄に用事があったときに連絡をしたのですが、温かく迎えてくださり本当に良くしてくださいました。
厚労省にて一緒に仕事をしていた頃も、少し年上のT原さんはいつも優しくしてくださり、私は懐の深い兄貴にいつも甘えておりました。
本当に1年間、お世話になりました。今後とも末永く仲良くさせていただきたい方の一人です。

普天間基地①普天間基地②
その沖縄に行ったときに、飛行機の出発時刻まで少しだけ時間があったので、普天間基地がどのような環境に位置しているのか知りたく、T原さんに連れて行ってもらいました。

普天間基地③写真が下手で分かりにくいですが、現地に行ってみて、本当に市街地・住宅地のど真ん中に基地があることがよく分かりました。

この基地問題について、私は、原発の問題と近いところがあると思っています。
安全保障や日本の経済を支えるという観点からは、基地も原発も、誰かが(どこかが)受け入れなければなりません。
もちろん、どちらも全廃するという選択肢もありますが、その場合は、安全保障や今の経済・雇用について根本から変わってしまうわけで、理想だけではない厳しい現実を受け入れなければならない可能性もあります。

しかし、今、「当然に必要だ」として進められてきた原子力行政について、本当に耐えがたい厳しい現実が現在進行形で起きてしまっています。

もちろん、まずは福島の現状をなんとか解決するのが最優先ですが、その後は、これから日本がどうしていくのかということをしっかり議論をしていかねばならないと思います。

この意思決定について、『プロセス』が非常に大事だと思っています。
できるだけ多くの方が納得できるプロセスを踏んでいただきたいと切に願います。

そして、一人一人が立ち上がり、地域や日本のために自分ができることを行動に起こし、もう一度、誇りを持てる日本を創らねばと改めて強く思っている最近です。

大淀川と日南線。
P.S.
猪苗代湖ズ 『I love you & I need you ふくしま』がたまらなく最高です。
勇気と力と涙がグッと込み上げてくる最高の曲だと思います。
福島、本当に頑張って復活してほしい。
応援しかできませんが本当に応援しています。
頑張ろう、福島。頑張ろう、日本!

最近。

千葉北総病院3千葉北総病院1

千葉北総病院2
今年に入って以降、毎日を非常に慌ただしく過ごしていました。

年末から正月にかけて多くの時間を割いたのは、ドクターヘリに関する業務です。
もう少し先になりますが、宮崎県にドクターヘリが導入されます。
それに向けての準備です。
県内の救急隊をはじめとした関係者の方々に、ドクヘリについて理解を深めていただくと同時に、ドクヘリに関するスキルも身に付けていただかねば、ヘリコプターだけを導入してもうまく機能しません。
写真は、月9ドラマ「コードブルー」のロケ地としても有名な千葉の先進病院です。
いろんなところに行って、修行の毎日でした。

そうこうしているうちに、新燃岳の噴火がありました。
当初のインパクトはすさまじく、これからどうなっていくのだろうか・・という大きな大きな不安が宮崎を覆いました。

私は、最初の大噴火のときは千葉県にしばらく出張していまして、宮崎にいませんでした。
ちょうど最初の噴火の次の日が宮崎に帰る予定の日で、飛行機が飛ぶだろうか・・と思いながら羽田空港に行くと、やはり天候不良(噴火)のため欠航・・・。
仕方なく都内にもう1泊し、次の日に再び羽田空港に行くも、朝から欠航・・・。
噴火が始まった最初の最初でしたのでどうしようもなく、仕事も残しているので、仕方なく大分空港経由で宮崎に戻りました。

帰ったらすぐに、火砕流や土石流に備えるための、諸々の対応に追われました。
私の今の担当が、「救急医療」「災害医療」であるためです。
ドクヘリ業務も、年度末の膨大な事務も・・という中で、DMAT(災害派遣医療チーム)などの準備を進めました。

そして、それも終わらないうちに、東北での今回の地震が発生しました。
宮崎県としては、まさに私の担当であるDMATをすぐに派遣し、その後もずっと自宅のある日南にもなかなか帰れないまま災害医療に関する業務に追われました。

そして、今日であれから1か月になります。
被災地を思うと、本当にやりきれなく、また、無力を感じます。

しかし、被災者でもない我々がいつまでも暗くしていても仕方がなく、逆に前向きに頑張っていかねばと思います。
しっかり仕事をし、経済活動もして、地域経済を回してかねば、いつまでもこの国の復活はありません。
もちろん、このことは私が言うまでもなく、そのような空気もたくさん出てきました。
私も自分ができること、与えてもらっている役割を、精一杯頑張りたいと思います。

もう数年このブログも書いていますが、初めて、かなり仕事のことも書きました。
これは、今回限り、、、ということで。
(内容は、記者発表済みの範囲内ですので。)

今日は、日南線の中で文章をパソコンで書いてます。
以前のブログで、帰宅途中の日南線の中で書くぞ!と言っておきながら、実際はパソコンの技術的な問題で全然書けていませんでした。
多分、その技術的な問題はクリアしましたので、帰宅後、うまく更新できると思います。
(と、信じてます!うまくいきますように!!)

ということで、今日はここまでです。では。

これからだ。

かなり、久しぶりの更新です。
この間に、新燃岳噴火から東日本大震災まで本当にいろんなことがありました。
またこれについては、後日書きたいと思います。

日付変わって昨日は、統一地方選の前半が終わりました。
宮崎県議会選挙もあり、私の業務上としても大きな結果が出たところですが、あまりに直接的ですので(苦笑)、ここで述べるのは止めておきます。

今回の選挙でものすごく勇気をもらったことがありまして、それは、三重県知事選挙です。
鈴木英敬(えいけい)さんが、全国最年少知事となりました!

Mfnet(宮崎県内若手行政マン自主勉強会)でも平成19年12月に、まだ英敬さんが経済産業省の課長補佐だった時代に宮崎に来てもらい、講演をしていただきました。
平成21年度の私が厚生労働省にいた時も、東京でやはりお話を聞き、夜までいろいろ熱く語らせていただきました。
それ以降も、熊本や大阪でもお会いし、そのたびに刺激と激励をもらってます。

平成19年に、初めてお会いして講演を聞いたときに、私の中でビリビリと電気が走りました。
こんな男がいるんやなと、一発で惚れてしまいました。
この人にこそ、総理大臣になってほしいと本当に思いました。

日本は大きな岐路に立っています。
日本の力が試されています。

私も、自分ができることを頑張ります。
全身全霊をささげます。

英敬さんと(平成21年)
今夜、英敬さんに改めて勇気をもらいました。
俺もがんばるぞ。

(←写真は、2009年 東京にて)

粛々と。

孝英日南絵画教室先日の週末は、日南で開催された「子ども絵画教室」のボランティアをしてきました。
←講師は、友達の小松孝英くん。
彼に頼まれてのお手伝いです。
子どもの柔軟な発想、創作には感動します。
穏やかな楽しい時間でした。

現在、彼は大阪で個展中です。
宮崎を拠点に世界・日本中で活躍している同い年の親友です。

(↓今回の個展について、詳しくはこちら)
小松孝英-個展-「儚」 Ephemeralness
2011年1月28日(金)~2月26日(土)11:00~19:00(休廊日/日・月・祝)

1月29日(土)18:00~オープニングレセプション/入場無料
TEZUKAYAMA GALLERY/大阪市西区南堀江1-19-27山崎ビル2F/tel:06-6534-3993
http://blog.livedoor.jp/takahidekomatsu11/

一昨日は、私も鳥インフルエンザに関する現地での作業をしてきました。
よく報道で見る全身白づくめの防護服を着ての作業です。
朝6時半に集合し、児湯郡に向かい、夜19時に作業終了。
県庁に戻ってきたのは20時前でした。
体力的にも非常にしんどいです。
この日の作業中、夕方頃に、宮崎市高岡町で新たな発生疑いの情報が入りました。
作業も終盤で疲れていたので、気持ち的にもへこたれてしまう情報でした。

んが、頑張るしかありません。
粛々とできることをやらなければなりません。

今日は、仕事で、新燃岳噴火に関する西諸での会議に行ってきます。
少しでも被害が最小限となるよう、精一杯頑張らねば。

宮崎試練の日々です。
「粛々とできることをやる。」
これしかないと思います。一つ一つ頑張っていきましょう。