「崎田恭平」って、どんな人物なのかとお思いの方も多いかと思います。
知っていただくために、少しずつ私自身のことを書いていきたいと思います。
7月23日の宮崎日日新聞に書いてありました私の経歴・実績の中で、『東京在住の本県出身者のUターンを支える「みやざきわけもんフォーラム」を立ち上げた』というのがありました。
これがどんなものなのかを書きます。
今回も、過去のブログのコピーになります。
2009年10月21日に書いたブログです。
この1年間は、厚生労働省社会・援護局福祉基盤課に派遣されており、東京で働いていた時です。
この年は、自民党から民主党に政権交代が起きた年です。
ちょっと前のことを書いているなーということを頭の片隅に起きながらお読みください。
(↓ここから、コピーです。)
【2009年10月21日のブログ】
より良い宮崎にどう繋げていくか。 ~渋谷と東北で思ったこと~
先週、新政権樹立に伴う概算要求のやり直しが終わりました。
報道でも大きく流れたところです。
政権交代のこの年に霞ヶ関にいるというのは、まさに偶然であって、他の年では経験できなかったであろう出来事がたくさん起こります。貴重な経験をさせてもらい、本当にありがたいです。
・・・・が、めちゃくちゃ仕事がハードですので、一度で十分です。(苦笑)
しんどい日々が続きます。
さて、2009年10月10日(土)に、渋谷のNPO法人ETIC.セミナールームにて、「みやざきわけもんフォーラム」を開催いたしました。
このフォーラムの内容(プログラム等)は、以前のブログに書きましたとおりです。
(プログラムはコチラ→「みやざきわけもんフォーラム in東京」)
宮崎日日新聞に大きく取り上げていただいたので、反響が凄く、宮崎から沢山メールなどで「読んだよ!」といった連絡がありました。ほんと、嬉しかったです。
この1回目の反省をしっかりし、2回目以降ももっと良くしていきたいです。
その記事にも書いてくださいましたが、今回の企画は、私が県庁に入ってから宮崎にいる間に交流のあった当時の宮大生のK君から、突然連絡があったのがきっかけでした。
彼は、慶應義塾大学の大学院に進学していて、このブログを読み、私が東京にいるのを知り、是非会いましょうと言ってくれ、その際に他にも何名かの宮崎出身者に彼が声をかけてくれた飲み会で生まれたものです。
このとき、集まったのは私を含めて計5名。(うち女性が1人)
そのうちの多くが、今は東京で力を付けて、いつかは宮崎に帰り、起業するなどして故郷宮崎に貢献したいし、大好きな宮崎で生きていきたいと語ってくれました。
私は、宮崎県職員として、故郷に対し同じような気持ちを持っていますが、私のような公務員ではない民間で働く人が、このような気持ちでいることが嬉しく、また、頑張っている同世代のみんなに多大なる刺激を受け、こんなのを聞いてしまったら、「崎田恭平」がじっとしているわけにはいかぬ(笑)ということで、今に至ります。
東京で、宮崎出身者の若者飲み会は、ちょこちょこあるようですが、このとき集まったメンバーはそういうことだけではなく、まず第1回目の企画では、今の宮崎事情をマジメに勉強できる場を作りたいということでした。
そして、その後の飲み会で、しっかり交流しようということになりました。
そういう経緯で、今回のような内容になりました。
当日は、本当に人が集まるか不安でしたが、定刻には定員の30名がいっぱいとなり、会場には熱気が溢れていました。
まず、「わけもんフォーラム」のアイドルで、宮崎のあったかオーラが標準装備であるなっちゃんの明るい進行で始まり、我らを引っ張るつっちーのナイスな挨拶とアイスブレイクで前半が進んでいきました。(残るもう一人の発起人のたじぃも裏方で頑張ってました!)
一人目の講師は、現在、横浜市役所に派遣中で、宮崎市職員である鶴岡さんです。
演題は、『宮崎市の倒産を防ぐチャレンジ!』。
私が、「一発目の講師は鶴岡さんしかいない」と思い、凄い人がいるよと他のメンバーに説明をして、鶴岡さんに決まったところでした。
そして、さすがは鶴岡さん!
取っつきにくい財政の話なのに、非常に分かりやすく話をされ、みんな真剣に聞いていました。
2人目の講師は私です。
テーマは、『地方分権』。
最近、よく聞くようで何となく掴みきれないこの言葉を、今の霞ヶ関での体験と、昨年の北欧での研修で学んだことなども絡めながら、自分なりに話させてもらいました。
夜の交流会では、昼間の勉強会に出席した方の7割くらいがそのまま残って参加してくださり、大盛り上がりでありました。
終えてみて、運営する側としては、いくつか反省点はありますが、第1回目としては大成功であったのかなと思います。
今後、私がこの会で目指していくものとしては、東京にて様々な業種で頑張っている若者が集える場所を作って、刺激し合い、切磋琢磨し、そしてなんと言っても宮崎愛を確かめ合いながら、宮崎で就職したり、起業するなどして、宮崎に帰るきっかけを作れる場にしたいと思います。
そして、もう一歩進めて、宮崎で就職や起業するとした場合に、非常に厳しい現実がある中で、就職や起業したい若者にとってどういう情報や環境があれば、それが促進されるのか、また、どうすれば新たな産業や雇用が生まれるのかなどを議論し、実行に移したり、政策提言できるようなところまで持っていけたらなと思うところです。
東京という、特に経済という面では時代の最先端にある場所で、一生懸命頑張っている宮崎の若者のリアルな声をうまくまとめて、なんとかより良い宮崎に繋げられる足がかりになればと考えています。
さあ、今からがスタートです! 頑張ります!頑張りましょう!!
次に、別の週末は、新幹線に乗って山形県山形市に行ってきました。
「東北まちづくりオフサイトミーティング」という東北3県の市役所職員が中心となって、今年立ち上げられた自治体職員の自主勉強会に参加するためです。
今回が、対外的に大きく開催する初めての講演会ということで、講師が木村俊昭さんでした。
木村さんは、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられた小樽市職員で、役場職員として町づくりに取り組み、その手腕が認められて、2006年に内閣府企画官となり、全国の地域再生に取り組まれ、現在は農林水産省の企画官として同様の仕事をされている方です。
行政の業界では非常に有名な方です。
若い頃から、突拍子もないアイデアと、とてつもない行動力で地域を駆け回り、地域の人たちの心に火をつけてきた方で、私が目指すところと非常に近い部分があると思い、今回、山形に出掛ける事にしました。
講演を聞きながら、触発され、私が宮崎・日南に来年帰ったら、あれやろうこれやろうと、いろんな元気が湧いてきたところです。
しかし、木村さんの講演もさることながら、もう一つ大きな刺激を受けたのは、東北の自治体職員の方たちの『熱』です!
←夜の交流会や、次の日の河川敷での「芋煮会」にて、多くの東北の自治体職員の方たちとお話させていただきましたが、本当に皆さん地元を愛していらっしゃっていて、情熱を感じました。
また、東北の方って、とっても温かいですね。
ホスピタリティーの高さを強く感じました。
「東北まちづくりオフサイトミーティング」のメンバーの皆さまには、大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。
日南も宮崎も負けずに、盛り上げていきます!