またまた更新ストップが続いてしまいました。
そのときそのときに書いていかんといかんですね。
それでは、先々週の東京レポートを書きます。
(←今回の研修会場は、国会議事堂のすぐ近くでした。)
今回の研修、とっても勉強になりました。
ブログ上で前から時々宣言していますが、このブログでは、私が県庁のどこの所属で、何の担当をしているかなど仕事については書いていませんし、これからも書くつもりはありません。
守秘義務の問題ありますし、自分の中で、「ここはプライベートのことだけを書く場所」と整理したほうがやりやすいというのもあります。
が、今回は、研修を受けた上で見た東京がいつもと違って見えたのもあり、少しその辺のことなどを、思いつくままに書いてみたいと思います。
(仕事で書く正式な「復命書」の内容とはかなり違いますけど。)
今回の研修は、防災について。
危機管理についての勉強でした。
いろんな講義があったのですが、その中の一人、建設省キャリアOBの方からの講義の中で、利根川は現在千葉県に流れているが、江戸時代以前は東京湾に流れ込んでいたという話がありました。
それまで水害が多かった江戸に、当時、人口が一気に増えたため、徳川家康が日本堤を作り、利根川の流れを変え、大きな水害が起きないようにしたとのこと。
「日本人は元々、山間部に住み、段々畑などを耕作して生活してきたが、人口がどんどん増えていったため、たくさんの米が作れる場所ということで、仕方なく湿地で水害も多かった平地に降りてきた。
水防に関わる人間は、そもそも水害が多いところに、人工的に堤防を作るなどして無理やり住んでいるという前提にまず立ってから、災害対策を考えなければならない。」
というお話でした。
また、国土交通省や総務省消防庁から「首都直下地震の切迫性」についての話もありました。
これまで東京に行ったときは、その華やかな部分というか、街が持つパワーにいつも圧倒されるような感じでしたが、今回の研修を受けてから東京の街を歩くと、いつもとは違って見えました。
東京で、もし大地震が起きたとしたら、これだけの過密地で、これだけの人を非難させるのは、土台無理な話だろうと思います。
(かといって、だから東京はダメとかいう議論をするつもりではありません。)
建設省キャリアOBの方が言われていた通り、災害に対して、国の責任とか自治体の責任であるとか、そういう問題ではなく、国も自治体も、企業も技術者も住民も、そもそもが狭い国土の中に、高い堤防を作るなどして自然な状態を変えて、強引に都市計画がなされているという前提を共通認識した上で、これからのあり方を考えていかないと、巨大化・頻発化している自然災害に対応できないなと、今回の研修で改めて強く感じました。
都市計画をする際に、経済効率だけで街づくりがなされ、危機管理の視点が抜け落ちてしまうと、大規模な自然災害が起きてしまった場合に、かえって経済的にもマイナスになってしまいます。
また、危機管理に対応できるかは、知事や市町村長など首長の普段からの意識の差によっても、被害などに大きな差が出るとのこと。
災害発生時の情報伝達、避難指示の判断などをしっかり対応していくのはもちろんだし、その辺はどの首長も分かっていると思いますが、氾濫しそうな場所は、堤防を高くするのではなくて、遊水地にするため、あえて開発をさせないというような判断も、財政が厳しいこれからは必要な判断だと思います。
避難訓練などのソフト面の対策に加え、自然を人工的にコントロールするというやり方ではない、日本の地形や自然に合った都市計画をするというハード面の対策、その両輪がなければ、災害に強いまちづくりは実現できないと、今回の研修で感じることができました。
そのほか、自衛隊に災害派遣を要請する際の要件や具体的手順、私がプライベートで所属している消防団の現状と課題、これからどういう方向に国が進めていこうとしているのかなどなど、いろんな情報を知る事ができ、非常に有意義な内容だった思います。
↑という感じで真面目に研修をしてきた後は、せっかくの東京ということで、普段会えない人に会いに行くなどして、可能な限りいろいろ回ってきました。
今回は1泊2日の研修でして、初日の夜は、宮崎第一高校で3年間同じクラス、同じ寮で苦楽を共にした剛くんと一緒に過ごしました。
剛くんは、第一高校創立以来初めての東大合格者。
今は、東大を卒業し、ロースクールを経て、司法試験に合格しまして、現在、司法修習生であります。
途中から、参議院議員の斎さんと千草さん夫妻と合流。
忙しい中、遅い時間だったにも関わらず相手してくれる2人に感謝感謝。
剛くんは、斎さんとは初対面でしたが、いろいろ話しができて楽しそうにしてたので良かった良かった。
2日目の研修が終わった後、予約していた宮崎行きの最終便まで数時間あったので、まず、農林水産省に行ってきました。
なぜ、農林水産省かというと、私の弟が働いているからです。
うちは、男3人兄弟。
私が長男で、農林水産省にいるのは一番下の弟です。
なかなか会えない弟の泰正くん。
元気にやっているか様子を見に、参観日みたいな感じで、弟の職場に押し掛けました。.。゚+.(・∀・)゚+.゚
宮崎のお菓子を持って、同じ職場の皆さんと上司の方に、「弟が大変お世話になっています~」とご挨拶。
明るい職場で、皆さん良い方ばかりで、弟のことを可愛がってくださっている空気が伝わってきて、兄貴として一安心。
(←両親に、弟の近況をと思い、撮った写真。ブログに載せてもいいかと聞いたら、それはダメだと言われました。・・・が、載せちゃった(笑)。 許せ、弟よ。「崎田恭平」の弟である以上、仕方ない。(←どんな理由だ。))
その後、国会がすぐ近くだったので、しばし国会見学。
そして最後に、私が県庁入庁したときの最初の職場で、隣で机を並べていました金子恵美さんと会ってきました。
県庁を退職して、現在、科学技術振興機構(JST)で働いていらっしゃいます。
ご結婚もされ、今は一児の母です。
理系大学出身だった私は、事務屋の仕事にとっても苦労しまして、ご指導して頂いた金子姉さんには大変ご迷惑とご苦労をかけました。(汗)
本当にお世話になった先輩のお一人です。
今でも気軽に相談に乗ってくださる、私が頼りにしている方です。
長々となりましたが、東京レポートはここまで。
次は、日南市青年団の総会について書きたいと思います!
突然失礼します。昨日ひょかっとブログ発見えらいはっきりした内容ですね。
ところで、4/19東京にいました?私も浜松町で歌ってたんですよね。前日は農水に行ってたし。知ってたら面白かったんですが・・・また次回お世話になります。
4月19日は、宮崎でした。
18日の最終の飛行機で帰りましたので。
ニアミスしていたのですね!
こちらこそお世話になります。
はっきりとした内容で、どこかからかお叱りを受けたらどうしようと思うこともたまにあります。(笑)