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消防出初式

H20出初式①
今日は、宮崎市の消防出初式でした。
(←真ん中が私です。)

朝7時半に、消防団機庫に集合して、出初式会場である大淀川河川敷に向かいました。
8時からは、行進などのリハーサル。
9時から、式典スタート。
結局、8時から10時半過ぎまで立ちっぱなしでした。
式典が長く、つらかった(笑)。

H20出初式②発水!

H20出初式③水に色が付きました!

明日から、夜警で地域を消防車で回ります。
今年は、我が赤江10部が操法大会に出場する年。
訓練がんばります。

今年の正月。

H20お正月今年の正月は、元旦から3日の朝まで、実家の日南にいました。
(←写真は、実家で親戚一同が集まっての宴会の様子。)

年末に実家の親に電話したときに、「正月は、宮崎市内の友達から昼間は一緒に過ごそうかとか、一緒に年始の挨拶回り行こうかとか誘いがあるから、夜は日南、昼間は宮崎という風に過ごそうかと思う」と言ったら、父親に怒られました。
正月くらい、家でおとなしくしてくれとのこと。
ごもっともです(笑)。

今回の正月は久しぶりに、いとこ達が同じ日に集まりました。
いとこの中では、私の兄弟が一番若く、他のいとこ達の多くは結婚しており、子供がいます。
今回うちに来ていた子供の数は、総勢10名。にぎやかでした。
(お年玉も持ってかれました(笑)。)

H20初詣
5日は、宮崎神宮に初詣に行きました。
今年の抱負は、元旦のブログに書いたとおり。

さあ、充実した一年にするぞ。

力が湧いてくる言葉。

ここ数日は、このブログのコメント数が多かったり、読んでくださった方から、ブログに書いてる内容について感じたことを携帯メールやパソコンメールに送っていただいたりして、非常に嬉しいです.。゚+.(・∀・)゚+.゚

県庁での最初の職場で大変お世話になった先輩で、昨年母になられ、今は東京在住の方から感想のメールをいただいたり、もらった年賀状に「目指せ!ブログ王子!!」(笑)の言葉があったりしました。
(その県庁の先輩からは、ブログ読む限りあまり寝てないので、体を心配してくださるお言葉が。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン(涙)。ありがとうございます。少しでも睡眠時間確保に努めます!)

その中で特に嬉しかったのは、九大ボランティアサークル(通称「九ボラ」)で一緒だった「ゆりちゃん」からのメールです。

『社会人になってからもいろ~んな経験をして大きく成長してるんだなぁとブログを拝見させてもらってるよ。去年は仕事で大きな壁に何度も直面してね、無理~って思った時、崎田君のがんばりを見てるとさ、まだまだ~!ってモチベーションが上がるんよ。いつもありがとう。』

・・・読みながら泣いちゃいそうでした(笑)。
ありがとう。そんなメールもらった俺の方が頑張れちゃうよ!

正月に、日南の実家に親戚が集まって飲んでるときに、いとこから「ブログを読んでると色んなことをやりまくってて、一体どこを目指してるんだって感じだぞ」と言われましたが(笑)、まあとにかく、目の前のことを一生懸命やるのみです。今年も突っ走ります。

・・・ということで眠くなってきました。それではオヤスミナサイ。

飫肥中テニス部。

タイトルからバレバレですが、同窓会シリーズということで、大晦日の出来事を。

大晦日当日のブログに書いたとおり、椎葉と西米良での大雪のため緊急出勤した後、宮崎に戻り、飫肥中で同じテニス部だった崇広と陽一と会ってきました。
東京で、崇広はSEとして、陽一は島津製作所で働いています。
一人一人とは、たまに会ってましたが、3人一緒に会ったのは中学校以来かも。

飫肥中テニス部大晦日若い年頃男子だけで飲んでるので、たわいなく女の子の話などでも盛り上がりましたが、ほとんどが仕事や、東京で働く事・宮崎で働く事についてなどの話になりました。

東京という地域に憧れとかは特に無いですが、1,2年くらいは、経済的に日本を牽引する大都会で働く経験を一度してみたいという気持ちはあります。
2人は「恭平なら全然やれるよ」的なことを言ってくれますが、2人は実際に経験しているからこそ言えるわけで、うーん、まあ当たり前ですが「経験」してるしてないは大きいですよね。

今回はその話は置いといて、3人でいろいろ話す中で、二人とも東京で充実した時間を過ごしているんだなということは感じましたが、潜在的には宮崎に帰りたいと思ってるとのことでした。
でも、宮崎で今のキャリアを活かして働くところがなかなか無いとのことでした。
昔から言われている事ですが、これは非常に根深い問題ですね。

高校同窓会の3次会で、弁護士の剛くんと話す中で出てきたのが、観光や移住のその先として、「宮崎で生きていくということ」自体を売れないかということ。
剛くん曰く、カネやモノや情報は少ない宮崎だけども、食べ物はおいしいし、温暖で自然も多く住環境がとてもいい、そして、都会と比べ人や地域との繋がりも感じられる宮崎で人生を送ること自体に魅力があるはずとのことでした。

今回、崇広や陽一と話す中で、その潜在的な需要があるなと非常に感じました。
このことについては、自分の中でももう少し詰めて考えてみたいなと思います。

久しぶりに、崇広や陽一とワイワイ話せて、ほんと楽しかった~.。゚+.(・∀・)゚+.゚

俺も頑張るよ!宮崎でキラキラ輝くぜ。

自分のスタート地点 ~高校同窓会に思う

年も明け、元旦の昨日のブログに今年の抱負について書いたところですが、今日のブログは、昨年12月30日に行った「宮崎第一高校文理科1組同窓会」について書きたいと思います。
卒業してちょうど10年経っての同窓会でした。

「のぐ○さん」、早速のコメントありがとう☆
「一高の星」の名に恥じぬよう頑張ります.。゚+.(・∀・)゚+.゚

とっても楽しい時間でした。
楽しかったついでに、この日参加したクラスメイトを紹介します。

H19文理科同窓会①写真右下に座ってるのが、吉野方小、飫肥中、第一高校とずっと一緒で、今は研究職として日立製作所にいる成くん。
その左が、宮崎第一高校初の東大生で、弁護士になったばかりの剛くん。
そのまた左が、東工大を出て、シャープにいる森。
写真右上の私の左横が、防衛大を出て、自衛隊でパイロットをしている丸くん。
丸くんは、私が大学で福岡にいたときもよく遊びに来てくれた、特に仲のいい友達の一人。ギターで、路上で弾き語りもするさすらいの自衛官です。
そのまた左横が、広島大卒業後、製薬関係の会社にいて、今、宮崎に住んでる貴重なメンバーの一人である調所。
一番左が、エンジニアとして神戸製鋼にいる海老名。

H19文理科同窓会②左手前が、宮崎第一高校初の医学部合格、広島大学医学部を出て、現在、研修医をしている樋口。
樋口とは、高校2年のとき、寮で同部屋でした。悪友です。
クラスのみんなから、「樋口だけには診てもらいたくない」と言われる愛すべき樋口くんです(笑)。
その右横が、長崎に嫁いだ人妻1号の蓑輪さん。
火を噴いたりはしません(←同級生にしか分からんね(笑))
真ん中にいる私の右横が、鹿児島で高校の先生をしている、多江さん。
一番右が、都城の文房具屋さんで、婿を取って今でも名字が変わらない人妻2号の野口さん。
実は、入学して野口さんを最初に見たときに、てげかわいいと思ってました(☆゚∀゚)

H19文理科同窓会③異国の人ではありません(笑)。
みんながいつも消息を心配している大脇です。
うちのクラスから九大に行ったのは、私と、この大脇だけだったので、大学生時代は、みんなによく消息を聞かれてました。
卒業を危ぶまれていた大脇ですが、8年かけて学部を卒業し、今は博士課程の1年生。隕石の研究をしているとのことです。
みんな応援してるぞ、頑張れ!大脇!!

H19文理科同窓会④一番左が、我ら文理科1組、別名「新原組」組長である新原先生です。
3年間、ずっと担任として受け持っていただきました。
新原先生の数学での愛のシゴキ(笑)のお陰で、九大に行けたと言っても過言ではありません。

右は、こないだまで雲海酒造に勤務、今は岡山に嫁いだ人妻3号の安祐美さん。

H19文理科同窓会⑤手前は、2度目の登場の海老名。
私の前に写ってる2人は、人妻4号5号の左から圭ちゃんと西田。
圭ちゃんは、看護士を最近までしていて、今、新婚さんです。
西田は、シャープで働くクラスメイトの森と結婚しました☆
今は、森と奈良に在住。
新原先生の厳しい監視下の中、その目を盗み、高校生時代から愛を育み、一昨年見事ゴールイン。

H19文理科同窓会⑥左は、再び登場の丸くん。
真ん中手前が、クボタ住宅勤務の今さん。
真ん中後ろが、飫肥中テニス部から一緒で、今は宮崎日日新聞勤務の広前。

H19文理科同窓会⑦一番左でグラスを持ってるのが、トヨタで営業しているまゆみさん。3次会ではしゃぎすぎ(大暴れ(笑))でした。

H19文理科同窓会⑧右が、長崎で看護士をしてる、勝代さん。
・・・この、かつよ氏から「太ったね」との言葉が(汗)。
「痩せてた高校生の頃は、結構かっこいいと思ってたけどねー。まあ、全く私の好みじゃなかったけど。」とのこと。(爆)
左が、今回、幹事として一番頑張ってくれた、みんなのアイドル理都子氏(りっつん)。
一応、私と共同幹事でしたが、みんなと連絡を取り合うべき9月10月11月に私が全然動けずでダメダメでした・・。
りっつんのお陰で全国に散らばった同級生を集めることができました。
2次会の締めの言葉で、頑張ったりっつんから感動の涙が。゚(゚´Д`゚)゜。 お疲れさまでした。

H19文理科同窓会⑨今回の出席者全員での集合写真です。

私がいた頃の宮崎第一高校は、進学クラスを立ち上げたばかりの頃で、そのコースにいる生徒の数自体が少なかったため、文系理系関係なく一つのクラスでした。
(今の第一高校文理科は、5クラスくらいあるらしいですが。)
なので、上記の通り、クラスメイトはそれぞれ色んな分野に進んでます。
そういう意味で、社会人となった今、様々な分野にいる仲間がいて、とっても刺激を受けるし、本当にありがたいことやなと思います。

この集合写真を撮った後に、新原先生に締めの言葉をもらったのですが、その最後に、「恭平が宮崎でいろいろ頑張ってるから、みんなで支えてやってくれ。第一高校も恭平を応援するぞ」との話がありました。本当にありがたい言葉です。
もちろん、既にクラスのみんなから、今もたくさん助けてもらっています。
そして、クラスの一人一人それぞれもきっと同じで、みんなに助けられている部分があると思います。

上のクラスメイトの紹介を読むと、みんなすごく順調な感じがしますが、実際はいろんな事を抱えているところもあると思うし、長い人生において、いい時期だけばかりではなく悪い時期がきっとあるはず。
多感な時期に、一つの目標に向かって頑張る中で、一緒に過ごしたこの仲間は、私にとっても、クラスのみんなそれぞれにとっても『原点』。
もちろん、高いところを目指して切磋琢磨しあうのも大事と思いますが、ここは、つらいとき、くじけそうなときにも本音を話せて、素でいられる場所でありたいなと思っています。
ほとんどのクラスメイトが県外に行ってしまっていますが、「宮崎に帰れば恭平がいて、みんなを集めてくれる」という風に、みんながほっとできる場所をこれまで以上に作っていければいいなと、今回改めて思いました。

・・・俺がくじけたときには、みんなよろしくね。骨を拾ってください(笑)。