﨑田 恭平 のすべての投稿

今年の抱負。

明けましておめでとうございます。
旧年中は、大変お世話になりました。
本年も、このブログと崎田恭平をよろしくお願いいたします。

昨年2月に、「みやざきみらいフォーラム」を身近に感じてもらうため、運営していく中での思いや裏話を、スタッフ持ち回りで、ブログという形で発信していこうと始めたこのブログ。
当初は、月にほんの数回の更新でしたが、このブログの内容について反響があったり、ブログを通して人との新たな出会いが生まれたりしたことが楽しくなり、夏くらいから毎日更新を目標に、ここまで書いてきました。
そして今となっては、当初の目的から外れ(他のスタッフの書き込みが無かったのもあり(笑))、完全に私の個人ブログと化してしまった次第です。

そういう経緯で始まったブログですので、ここで県の政策や県庁での仕事について思うことなどを具体的に書くつもりは、当初からさらさらありません。

「みやざきみらいフォーラム」を始め、地域活動に汗をかいている宮崎の一若者が、そこから見えるもの、それを通して感じる思いを素直に書いていこうと思っています。
ただ、私が県庁マンであることには間違いないわけで、政策や仕事についての具体的な言及はしませんが、単純に一若者という部分だけでなく、県庁マンである私から見える風景だったり、思いという部分については書いていきたいとも思っています。
なので、若い県庁マンが、普段どんなことを考えているのかという視点でも読んでいただけると幸いです。
(まあでも、私が標準的な県庁マンかどうかは我ながら疑問ですが(笑)。)

それでは、今日の本題である今年の抱負について書きたいと思います。
今年の抱負は、『原点に帰る』です。

私は、大学生時代、児童養護施設にボランティアとして通ったことをきっかけに、行政の道を選びました。
ここ数年、自分なりにいろんな経験をしてきた今、その部分をもう一度しっかり考えていきたいと思っていて、具体的には、児童養護の分野を肌で感じられる環境に、自分を持っていきたいなと思っています。

児童相談所に行きたいという自分の希望に反し、県庁での最初の配属が地域振興課だったことを一つのきっかけとして、今のような地域活動を始めるようになりました。
ある意味、大学生時代は児童養護関係しか頭に無かったので、別の仕事の経験をさせてもらったことにより、視野を広げさせてもらえ、長い目で見れば、私自身にとってとても良かったと、今は思っています。
そして今では、児童養護ばかりではなく、もっといろんな分野からも、この宮崎に関われていけたらと思うようになっています。

とは言っても、だからこそ、「原点」を大事にしたいなと思っている今です。

大学生の頃、理系の学部にいた私にとって、法律や経済の科目で受験しなければならない県庁の一般行政職を目指す事に、自分自身、非常に不安がありました。
工学部の私が、法学部や経済学部などの文系の連中に勝てるのだろうかと。

卒業研究のため、平日は朝9時から夜も9時過ぎまで研究室にこもらねばならぬ毎日で、3月になっても十分には公務員試験のための勉強時間を確保できなかったのですが、それでも毎週日曜日の児童養護施設でのボランティアは、受験直前までずっと続けました。
そのまま理系でいれば、そんなに苦労せずともそれなりの企業に就職できるのに、自分が何のために誰のためにリスクを冒して、一般行政職で県庁を目指すのかというのを、しっかり感じていたいと思っていたからです。
日曜日に、子供たちと一日どっぷり遊んだり、勉強を教えたりする事で、月曜から始まる1週間を迎えるにあたり、改めてしっかり頑張って勉強するぞと心から思えました。
(実際、金曜、土曜になると、子供と遊びたくてうずうずしてました(笑)。なので、もちろん、いい気分転換にもなってました。)

成績がなかなか合格ラインまで上がらないどころか、全科目ゼロから始めなければならない試験範囲を、一通りやり終える事にすら苦労していて、直前は発狂しそうなところまで追い込まれましたが(笑)、そんなしんどいときには、子供たちのことを思い出すようにしていました。
そして、将来自分がその分野について取り組むためには、まずは自分がしっかりとした社会人とならねば、ここをしっかり踏ん張らねばと思えて、必死で頑張れました。

私が行政を目指した原点である、「どんな境遇で生まれてきたとしても、子供たちが同じスタートラインに立てる社会づくり」をするという思いを、いろんな事をやりつつある今だからこそ、しっかり大事にしていきたいと思ってます。

それと、もう一つの『原点』、我が故郷「日南」についてです。
今は、アパートのある宮崎市や、職場のある西都市での活動が多いのですが、やっぱり想ってしまう我が故郷「日南」。
今年は、なんとか日南と、もっと繋がれることをしていきたいなと思っています。
(藤沢さん、いろいろ御相談させてください!)

またまた長くなってしまいましたが、今年もそんな感じで頑張りたいと思っております。
このブログに、これからもいろんな思いや悩みなど、素直に正直に書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします.。゚+.(・∀・)゚+.゚

大雪

今日は椎葉や西米良の山間部で、かなり雪が降りました。
それに伴う対応のため、緊急で出勤してきました。
夕方にやっと片付き、今から、東京から帰省している中学生時代の同級生二人と会ってきます。
部屋の片付けをしようと思った矢先に、急に仕事になってしまい、年を越すのに部屋が完全には片付かぬままです。
(まあ、もっと早くにやっておかない自分が悪いのだけど・・(汗))
ドタバタの大晦日になりました。
それでは出かけてきます。
皆さま、よいお年を。

道は違えど。

仕事と忘年会で、睡眠不足の年末です。

「小松孝英」忘年会H19①
28日は、画家の小松孝英くん(以下、孝英)主催の忘年会でした。
彼は、神戸や福岡などでも個展を何度もやっていて、今年はニューヨークのチェルシー地区でも個展を行いました。
私と同い年の彼は、この若さで絵だけで食べれてます。
そのことだけとってみても凄い男です。

(今回の忘年会会場は、いつもいつもお世話になっている「居酒屋『照』」貸し切りで行いました。隼人先輩、宮野さん、ありがとうございました。)

「小松孝英」忘年会H19②(←写真中央ちょこっと左側の赤い服を着ているのが孝英。同じく中央で、孝英の右隣に写ってるのが私。)

孝英の凄いところの一つは、たくさん人を惹きつけるだけの、人としての魅力を持っているところです。
忘年会に来られていた方の職業をいくつか挙げてみても、デザイナー、不動産会社、イラストレーター、額縁職人、映画監督、呉服屋、マスコミ、小学校の先生、製薬会社、作業療法士、デパート店員・・・などなど、幅広すぎです(笑)。

孝英と初めて出会ったのは2年前の冬の終わり。確か、2月頃かな。
孝英の福岡での個展打ち上げパーティーが、宮崎市内にある「グリーンルーム」で行われたときです。
今は横浜にいて、当時「みやざきみらいフォーラム」を一緒にやってた同い年の平原くんから、「小松君という、おもしろい奴がいるよ」と、そのパーティーに誘われて行ってみたのがきっかけです。
平原くん曰く、「小松君の会に来る人たちは、カメラマンやデザイナーなど、みんなアーティストばかり。俺らと同年代で、自分の能力だけを武器に頑張っている人たちと話してみると刺激になるよ。」とのこと。
当時の私は、みらいフォーラムに行き始めたばかりの頃、もちろん代表をする前の頃で、「まつりえれこっちゃみやざき」を本格的に始める前でもあり、異業種の皆さんと今ほどお付き合いしてない頃だったので、店まで歩きながら「そんな人達と馴染めるはずもないので、やっぱり帰ろうかな・・」とか思いつつも、びくびくしてグリーンルームの扉を一人で開けたのを今でもはっきり覚えています(笑)。

今でこそ、孝英の会は色んな業種の人たちがいますが、当時の出席者は、9割方アーティスト。
その日のパーティーで、そっち関係じゃない人は、平原君と、参議院議員になるずっと前の外山斎さん、その頃はまだ「彼女」で保母さんだった今の奥さんの千草さんだけ。(斎さん、千草さんとも、その日が初めての出会いでした。)
平原君が紹介するデザイン関係やWEB関係などなどの皆さまと名刺交換したのですが、「なんで公務員が来てるの?」という心の声が聞こえてきそうな空気を感じて(私が思い込んで勝手にそう感じてただけかもしれませんが(汗))、結構、いやかなりその場は苦しかったです(苦笑)。
そんな私の空気を感じてか、斎さんが色々話しかけてくれ、政治家を志す方と県庁マンということで、アーティストばかりのその場においては、遥かに近い世界にいる斎さんと千草さんと後半はずっと話してました。

孝英とも少し話したのですが、「俺はいつか必ず世界的なアーティストになる男だから」と軽く言ってのける。
う~ん、こんな奴がいるのかと、平原君の言うとおり、かなりカルチャーショックを受けました。
でも、絵を見て、素人なので専門的なことは全然分からないけど、圧倒的な存在感を感じさせられた。
素直に口だけじゃないなと思いました。

パーティーがお開きになるときに、出口で一人一人出席者を見送ってた孝英から「何ヶ月かおきに大きいパーティーをやってるから、直接は連絡できないけど、まあ情報が入れば、また来てもいいよ。」とのこと。
かなり上からの発言ですが(笑)、孝英にしてみれば、広いグリーンルームを貸し切っても座りきれないくらいの人が来るパーティーで、しかも、一人一人に招待状を送ってるとかじゃなく、孝英に近い友達数人に声をかけるだけで広がってそれだけの人がいつも集まってて、細かく把握していくのは無理だということでした。
帰り際、斎さんから、「次あるときは、僕が声をかけるよ」と言ってくれ、その日は、斎さんとだけ携帯番号を交換して帰りました。(孝英は、交換してくれなかった(笑)。)

最初に紹介してくれた平原君は、それからすぐに横浜に就職することになり、宮崎を離れました。
なので、もう声がかかることは無いかもなと思ってましたが、数ヶ月して、斎さんからの連絡で、カメラマンの酒生さんの個展打ち上げパーティーに行き、それからもそのような飲み会に何度か行くうちに、次第に孝英や酒生兄貴、斎さんたちと仲良くなっていきました。

最初の頃は、いつも孝英から、「俺たちの税金で食ってる県庁マン」と言われてましたねー。(いや、今でもか(笑)。)

孝英や酒生兄貴と話してると、自分の夢に向かって、将来なりたい自分をしっかりイメージして頑張ってるのが感じられて、ものすごく刺激を受けます。
(それは、進む道は違いますが、斎さんもそうです。)
特に最初のほうは、決して居心地のいい場所では無かったですが(笑)、それでもその場に足が向かってたのは、自分のように組織の中で仕事をしている人間からすると対極ともいえる場所で、自分一人だけの力を信じて、夢を追ってる同世代が近くにいることに刺激を受けたし、俺もぜってぇ負けてられないと思わせてくれたからだと思います。(←超、負けず嫌い(笑))
その場に行くことで、自分は何がしたくて今県庁にいるのかなど、初心を再確認することができました。

また、孝英の会に行く中で、全く違う職業、違う価値観の人たちと、お付き合いする事の面白さも感じるようになってました。
普通に県庁だけの人間関係だけでは付き合うことも無かっただろうと思われる人たちから、「公務員」や「県庁」というものが、本音の部分でどんな風に見えてるのかということを感じれて新鮮でした。
そして、厳しい意見も含め、みんなが行政に対して思ってることを言ってくるのに対し、私は私になりに、行政はこういう思いで仕事をしているんだという事を一生懸命話すと、それなりに分かってくれ、実際に直接顔を合わせてお付き合いすることの大切さを実感することができました。

今となっては、孝英とは毎日ように会ってますね。
最初は直接私に連絡する気もなかった孝英ですが(←根に持ってる(笑))、今回の忘年会も、お互いが空いている日から日程設定してくれました。

道は違えど、よきライバルだし、よき理解者です。
孝英に負けないくらい世界的な・・・いやいや(笑)、いつの日か、宮崎に「崎田恭平」ありというくらいの仕事ができるよう頑張ります。
私は私の道で、この宮崎というフィールドで、しっかり地に足をつけて、一つ一つ積み上げていきたいと思います。

アトリエ忘年会
昨夜(29日の夜)は、孝英とアメリカ人のジェームスのアトリエ「Monarchs(モナーク)」で、酒生兄貴たちなど少人数で、ミニ忘年会をしました。
鴨鍋おいしかった.。゚+.(・∀・)゚+.゚
(写真は、食事後、ジェームスに教えてもらったアメリカでポピュラーなトランプゲームをしているところ。)

28日の忘年会二次会で、来年開催予定の「西米良芸術祭(仮)」を孝英と一緒に主催されるデザイナーの方から、この芸術祭にかける熱い思いを伺うことができました。
(私のブログを読んでいただいているということで、大変光栄であります。.。゚+.(・∀・)゚+.゚ 既に第一線で活躍されているデザイナーの方です!)

私も「西米良芸術祭」の手伝いをさせてもらう予定です。
来年は、西米良が熱くなりますよ!!゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆

崎田恭平

mixi

先月くらいに、遂にmixiに入りました。
2年以上前から、いろんな友達に「入ろう入ろう」と言ってもらってて、招待状もこれまで何通ももらってたのに、日々にいっぱいいっぱいで、ブログまでが精一杯でした(汗)。
しびれを切らした孝英が、うちに遊びに来たときに、強引に入れてくれました(笑)。
いまだに、mixiの仕組みがよく分からず、もらったメッセージやマイミク申請に答えている程度で、自分から色んなところを覗けていません・・。
が、これからは少しずつでも、ここでの新たな出会いも楽しみたいと思います。
どなたか、もしよろしければマイミクになりましょう。(←言葉の使い方合ってますかね?(苦笑))
本名「崎田恭平」そのままです。
mixiで、別のブログ書こうとかは全く思ってませんが、大学生時代の髪の毛が茶色だった頃の写真とか、こっちのブログでは公開しないような昔の写真などを、mixiには載せてみようかなと思ってます。(今現在は、まだしてません。近々アップします。)
私が代表している「みやざきみらいフォーラム」や「どんげネット」のコミュニティ(?)があると聞いたことがあるのですが、どんなものなのか今のところピンときてません・・・今から勉強したいと思います。
高校の同じクラスのやつもあると聞いたことがあるような・・。
少しずつ頑張ります。よろしくお願いいたします。

クリスマスイブ

24日の夜は、画家の孝英や、スタイリストのゴエ(川越)さん、アメリカ人のジェームス、重恭とかと、ゴエさん宅でクリスマスパーティーをしました。
楽しい時間でした(☆゚∀゚)
ゴエさんの手料理はとてもおいしかったし、ゴエさんが発信するメッセージは非常に伝わるものがありました。
街中にゴエさんの家はあるのですが、飲み会終了後、そこから月見ヶ丘付近にある自宅まで、孝英と歩いて帰ってきました。
最近、いつもそのパターンですね。
1時間くらいで帰ってきます。そのときは、夜中の2時半過ぎに部屋に帰り着きました。
意外とあっという間に着いてしまいます。
・・・・・あっという間に痩せないだろうか(爆)。