﨑田 恭平 のすべての投稿

みやざきみらいフォーラム副代表 児玉健作

みやざきみらいフォーラム副代表の児玉健作くんが、自身のブログに私のことをチラリと書いてくれたので、私も一言書かせていただきます。
(ほんとは、早く書こう書こうと思っていたのだけど、西都古墳まつりで大繁盛でした(汗))

俺は俺で、健作の一つの事を信念持ってやりぬく力をすごいと思ってる。俺も見習わなきゃって。

私は、行政マンとして少しでもこの地域に貢献できたらと思い、宮崎に帰ってきました。
でも、宮崎という地方において、本当に具体的に貢献する一番の方法は、起業して雇用をたくさん生むことなんじゃないかという気持ちもありました。
しかし私はそこまでできなかった。

(以前、みやざきみらいフォーラムの第29回講師としてお呼びした「リサイクルショップ三喜」の林社長が起業したときの思いは、まさにそれで、宮崎で働くところがなく宮崎にいたいのに県外に行かなければならない友人たちの現状を見て、それじゃ自分が雇用を生もうじゃないかと思って始めたんだと語っていただきました。林社長の会社のような形態の場合、アルバイトをたくさん雇って経営するのが通常であるのに、リサイクルショップ三喜では正社員の比率が非常に高いそうです。)

健作は、プライベートで、着物関連イベントや街歩き旅歩きなども頑張っている男だけど、それにもまして商売を頑張っている。
いつかは、少しでも多くの雇用を生めるようになりたいと語ってくれる。
それが、商売人としての地域貢献なんだと。

健作の持つパワー、一人でもやりぬく力はすごいです。

榎本副代表もすごい方ですし、健作も然り。
頼りない代表でスイマセン(笑)。
俺も頑張ります*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

(いつか、榎本副代表や、私の頼れるお姉さん(いやお母さんか(笑))美鈴さんや、3代目代表になれるか!?穂高などなど、スタッフの紹介を書こうかな~.。゚+.(・∀・)゚+.゚)

崎田恭平

どうにもこうにも ~その2

今回の週末は、いろいろなところに行きまして、運動したり、語り合ったりと、とっても濃い時間を過ごしました。
その中で感じたことなどをいろいろ書きたいのですが、今日も帰ってきてパソコンをすぐ開いてこんな時間・・・・・。
とりあえず撮ってきた写真を並べるだけ並べて今日は寝ます。

26日(金)
西都古墳まつり実行委員会→古墳まつりメンバーと飲み会→宮崎に帰り、友達とジョイフルで朝4時前まで語る。

27日(土)
県庁の県土整備部職場対抗ソフトボール大会のため、朝7時に木花の運動公園に行き、ライン引きなどの準備。
ソフトボール
守備をしてる私。

→部屋に帰り、1週間分の洗濯と部屋の掃除→夜は、異業種交流会(?)という感じの飲み会。いろんな分野の方が来られてて、濃かったし熱かったです.。゚+.(・∀・)゚+.゚・・・そしてニシタチから部屋に帰りついたのは、夜中の2時。

28日(日)
眠い目こすりながらも、元気よく朝7時に部屋を出発し、綾に向かいました。
綾照葉樹林マラソンに出場。10km完走しました。
綾照葉樹林マラソンチーム南風
マラソン仲間「チーム南風」のみんなと。
綾照葉樹林マラソンにて嘉人と
「クボタに決めた!」で有名な(笑)、久保田嘉人くんと。

→西都古墳まつり「トーチリレー」到着式準備のため西都に向かう。
美々津トーチリレー
「トーチリレー」とは、天孫降臨の北の高千穂町と、南の高原町にある高千穂の峰の山頂にて、御神火をおこし、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会う西都市までリレーをして火を運ぶ儀式。
この火で、祭り中に行われる「たいまつ行列」と「炎の祭典」を行います。
上の写真は、北の高千穂から西都に向かう組が、日向市の美々津で船に乗っているところ。

私は、その御神火を迎える到着式の準備をしました。
トーチリレー火の合体
御神火の到着。
トーチリレー到着
皇子の舞。(皇子は小学生)

→宮崎に戻り、チーム南風の綾照葉樹林マラソン打ち上げに合流。
綾照葉樹林マラソン打ち上げH19
打ち上げ後、上の写真でツーショットで写ってる嘉人と、嘉人の奥さんで妊婦のあけみちゃんへ土産を買うため、焼き鳥屋に寄り、持ち帰りの焼き鳥を待ちながら、一杯飲んで、しばし語りました。嘉人のお父さんのしつけの話、嘉人が学生時代世界一周をした話など、いろんな話しができて超楽しかった.。゚+.(・∀・)゚+.゚

フル回転の週末でした。

今夜は、西都古墳まつりの最後の実行委員会を行いました。
会議後も、みんなそれぞれで話し合いをして詳細をつめました。
そのあと、田爪実行委員長と、「炎の祭典」副班長のたいき君と軽く打ち上げ。

ということでオヤスミナサイ(´・ω・`)

崎田恭平

自分の無力さ

西都古墳まつり191025
今夜も西都古墳まつりの準備。
(←写真は、女人の練習風景。)
Mfnetの打ち合わせもあったのですが、完全に吹っ飛んでました。
MFメンバーの皆さん、行けずに申し訳ないです。

宮崎に戻った後、最近夜中にいつもつるんでる友達といろいろ話しました。
いろいろ考えさせられる。
これまでなんでも目の前にあることを、がむしゃらに自分なりに頑張ってきましたが、今後の人生を見据え、自分がどういう立ち位置でこれから歩いていくのか、しっかり考えないといかんなと改めて思ってます。

とにかく今は、目の前の古墳まつりを頑張ります。
あと10日ほどで本番。
ほんと田爪実行委員長にはご迷惑とご心配ばかり。申し訳ないです。
うまく祭り全体を把握できず、自分自身もいろんな事を抱えすぎてて能動的に動けずにいて(まあそれができるよう努力すればいいことなのだけど)、ほんと情けない。
総務班長を引き受けたのに、きちんとやり切れず、自分の不甲斐なさを感じているここ最近です。
なんとしてでも祭りを成功させて、最後に笑いながらおいしい酒が飲めるよう、一つずつ頑張りたいと思います。

大学時代、児童養護施設のボランティアに通ってたときに接していた子供から、最近ずっと夜中のこのくらいの時間にメールが来てました。(数年経っているので、今はその子も大人になりましたが)
その子は、俺がその年齢で同じ状況だったとしたら到底頑張りきれないなと思う状況で、不安定になりながらも必死に頑張ってる。
俺なんかじゃ力になりきれはしないのだけど、俺が今、福岡にいて、せめて直接会って時々話し相手になれたらと思ってます。
そして、とはいっても、結局はどうしてあげることもできない自分の無力さを痛感している、ここ数日です。

崎田恭平

年齢だけは大人になってる今。

西都古墳まつり191024①
今晩は、西都古墳まつり三役会及び総務会をしました。
1枚目の写真は、平田総務副班長に細部について指示をする田爪実行委員長。
2枚目の写真は、平田総務副班長と田爪(知)総務副班長の2人で協議をしているところ。
(田爪(知)総務副班長は、実行委員長の弟。)
西都古墳まつり191024②
・・・・・・・・という感じで、田爪実行委員長の演技指導のもと、ポーズをとって撮った写真です(笑)。

地場産展出店業者への説明会や、まつり当日打ち上げる花火の警察と消防への届出などの、総務班業務を一つ一つこなしている毎日です。
いよいよ大詰め。頑張ります。

西都古墳まつり191024③
10/11「地域の伝統をつくっていくということ。」で書いた女子高生と、チビッコ探検隊班長の富子さんとの写真。
今日は、深夜0時近くまでチビッコ探検隊班は作業をしてました。ほんとお疲れさまです。
(高校生は早い時間に帰してますよ)

特にブログの存在について話してはなかったと思うのですが(名刺を渡してたからか?)、今日は、この女子高生からブログ読んでると言われました。・・・女子高生も読んでるこのブログ。ちょっと照れちゃう(笑)。

年齢だけは、十分に大人な年齢(28歳)になってきた今、自分はこんな学生からはどんな風に見えてるのかな。
自分が学生時代の頃は、28歳ってものすごく大人だと思ってたけど、今の自分の感覚としては、二十歳過ぎくらいから止まってる感じ。

私も何人かのブログを読んでますが、ブログって、ものすごくその人となりをそのまま映し出すように思います。
日々をだらだら書いてるお粗末なブログで恥ずかしいです(´・ω・`)。
国会議員や県議会議員が読んでくださっていると聞くよりも、女子高生が読んでくれてると聞くほうが、ほんとなんだか気恥ずかしい・・・(笑)。

県議会会派「愛みやざき」の西村さんのブログに、ここ数日、上海海外視察のレポートが載ってましたが、毎日のレポートを読むたびに西村さんの一生懸命さが伝わってきました。
(先月あった共通の友人のパーティーで西村さんとお会いしたときに、「最近のブログ、力抜いてるでしょ」とか言ってスイマセン(苦笑)。さすがです。)

西村さんのここ数日のブログを読んで、改めて、アンテナを高くして日々いろんな勉強をしていかんといかんなと心から思いました。
機会を作って、県外や海外などに行って、他の地域もしっかり勉強せんといかんなと。

県庁に入庁して1年くらい経った25歳のときに、自分の人生をどういうものにしたいのか、それなりの年齢になったときに社会に貢献できるような自分になるためには、若い今の時期に何をしないといかんのかとか考えて悩んでました。
また、県庁の採用試験を受験しようと決めた頃、児童相談所で働きたいと思ってて、県庁の二次試験の面接ではそれしか話していない私だったのですが、最初の配属が地域振興課という企画系の部署で、自分が当初やりたいと思ってたところとは違っており、これまでの思いをどうしたらよいのか・・とも思ってました。
(地域振興課に行けた事で今の自分があるという部分もあり、児童福祉しか頭になかった私にとっては、視野を広げさせてもらったので、今は良かったと思ってます。)
その頃、大学生時代のように児童養護施設でのボランティアを続けようかなとも考え、そういったサークルを探したのですが、自分がイメージするものをなかなか見つけられずにいました。

そんな頃に、仕事のイベントで偶然出会った地域活性化塾どんげネットの前代表の誘いがあったり、縁があって消防団に入る事になったりしました。
当時は、20代にしっかり自分磨きをしないと、充実した30代、40代にしていけないんじゃないかと思っているところがあって、悩んだ結果、今なにをすべきか見つけきれないけど、縁があって目の前に出てきたものは、何でもやってやろうと思いました。
とにかく25歳から30歳までの5年間は、何をやろうかで悩んで貴重な20代をなんとなく過ごすのではなく、明確な答えは見つからないけど、二度と来ない20代を悔いのないよう走り回ることで、見えてくるものもあるんじゃないかと思い、とにかく全力疾走しようと心に決めました。

・・・今日は、西都から運転して帰りながら、福岡で過ごした大学生時代に接していた子供から、最近久しぶりに連絡があってる話と、それを受けてここ数日改めて取り組もうと考えていること、来年の目標なんぞを書こうと思ってたのですが、部屋に帰り着いたのが1時。風呂に入って、ブログ書いてたらこんな時間なので、今日は寝ます。オヤスミナサイ。

崎田恭平