「﨑田の思い」カテゴリーアーカイブ

自分らしく後悔なく気持ちよく、そして人生をおもしろく。

2012夏の楠並木通りからの空久しぶりの更新です。

宮崎県内に限りですが、いろいろ報道等でお騒がせしております。
まだ公職にありますので、コメントは差し控えさせていただきます。

昨日は、フェイスブックやメールなどなどで、たくさんの反響を頂きました。
このブログのアクセスも大変伸び(過去ダントツ最高のアクセス数)、ブログへのコメントも頂きました。
そのコメントをくださったお一人の方が書き込んだのが、一年以上前の投稿で、「「自分らしく後悔なく気持ちよく、そして人生をおもしろく。」でした。

すると、偶然にも、まさに今回の決意に至った背景を書いたと言っていいようなブログ投稿記事でした。
コメントいただかねば、振り返ることもなかったかもしれないわけで、これも何かの縁だと思い、再投稿(コピー&ペイスト)させていただきます。
以下のとおりです。

【2011年04月27日のブログ】
「自分らしく後悔なく気持ちよく、そして人生をおもしろく。」

振り返りの①今夜は、東京にて、「みやざきわけもんフォーラム」が開催されました。
(内容は、次のとおりです。→ 「第7回みやざきわけもんフォーラム」

平日にも関わらず30人ほどの宮崎人が集まり、盛会であったと聞きました。
また、最近加入してくれたスタッフメンバーから、改めて素晴らしい活動だと感じたとの言葉もあり、宮崎にいる私も本当にテンションが上がる報告でした。

この「みやざきわけもんフォーラム」は、私が東京で働いた平成21年度に宮崎出身の仲間と一緒に立ち上げた会です。
大学生や会社員などの20代30代を中心としたメンバーで運営されています。

活動内容は、宮崎在住で活躍してる方を東京にお呼びして講演をしていただき、後半はワークショップを行います。
宮崎の今を知り、宮崎の底力を感じていただくことで、改めて故郷に対して様々な形で貢献することを考えてくれる「わけもん」を増やしたいと考えています。

私が東京を離れても、このように会を継続していて、メンバーも少しずつ広がっているというのは本当に嬉しく、凄いことです。
メンバーの頑張りに本当に感激です。誇りに思います。

振り返りの③元々はプライベートで勝手に始めた「わけもんフォーラム」ですが、今では、県の東京事務所も側面支援をしてくださっています。

私は県職員ですので、わけもんフォーラムを知っている県職員の方と雑談することも時々あるのですが、その中でたまに「あれだけ優秀で行動力のあるメンバーなのだから、そこまで「宮崎、宮崎」とならずとも、もっと東京や世界で活躍してもらって、将来宮崎を出てきた若者を雇用するくらいのところを目指しても・・」というような話をされたりもします。

もちろん、それも凄いことで素晴らしいことであり、そういう人材が出てきてもいいと思います。
ただ、その言葉の根底に「宮崎という世界で活躍するより、外に出ていって活躍するほうが凄い」というようなところも感じられます。

もちろん、特に過去の時代を考えると、そういうところもあったのでしょうが、宮崎在住である今夜東京で御講演いただいた宮田さんやこれまでの講師の方々の生き方を見ていると、一概にはそんなことは言えないと思います。

振り返りの②

と、言いますか、『どこで頑張っていくか』ということは、ほとんど問題じゃないと思うのです。

若いうちは地元を出て、いろんな経験を積むことは大変重要なことだと思いますが、その先のフィールドはどこだってあまり問題でないと思います。

私が思う重要なところは、どこで、もしくは何のために誰のために頑張っていくのが、自分自身にとって気持ちよく生きれることなのか?ということじゃないかと思います。

私は、私を育ててくれた地元の日南や宮崎のために汗をかきたいし、ここで生まれ育つ子供たちが「ここが故郷で良かった」と思ってくれる誇りある地域にしたい。

また、東京にて、省庁の中で仕事をして感じたのは、上から(国から)あの手この手で日本を良くしていくことの限界です。
明治維新後、戦後はこれでうまくいったと思いますが、今はそれではうまくいかない。
それぞれの地域や一人一人の国民が、しっかりと自分の足で立って、力強い地域を創っていかないと、その集合体である国家は強いものになっていかないと東京で思いました。

だから私は、宮崎で頑張るのです。
そういう人生がおもろいなと思うのです。

そして、わけもんフォーラムのメンバーも、「宮崎」を想い、若い今はもがきながら一生懸命に努力しています。
「いつかは宮崎に役立つような人材になれるように」と考えてくれています。
そして、そういう生き方が、『自分らしくて気持ちいい』と思うからそうしているのだと私は思っています。

うまく伝わっているか大変自信ないですが、今夜はそんなことを考えてました。
ということで、明日からまた頑張りましょう!

自分らしく後悔なく気持ちよく、そして人生を面白くしていきましょう!!

アート、マルシェ、イクメン、地域活性化。

前々回のブログで、少子化のことを書こうとして放置しています。(苦笑)
書こうと思っていますが、今日は別のこと(先週末のこと)を書きたいと思います。

孝英宮崎レセプション①まずは金曜の夜。
親友である画家の小松孝英くんの個展が、先週末に宮崎市内にて開催されました。
それに先立ち開催されたオープニングreceptionが金曜夜で、そこに行ってきました。
場所は、1番街ミスド前のCORNERさんです。

「会場に早めに来てね」と言われていたので早めに着くと、首にスタッフ用の名札をかけられました。(笑。もちろん事前に言われてましたけどね。)
非常に大盛況で、始まってしばらく経ったときには人が入りきれるのだろうか?と不安になるくらいの人数になりました。
180人ほどの来場があったようです。
NHKとMRTも取材に来ていました。(NHKに関しては、現在密着取材中とのことで数週間密着されています。)

孝英宮崎レセプション②孝英宮崎レセプション③

このオープニングreceptionの目玉は、この写真にあるボディペイント。
孝英(コウエイ)本人が、お客さんの前で、モデルの女性の背中に蝶の絵を描いていきます。

孝英宮崎レセプション④孝英宮崎レセプション⑤

そのほか、ヘアメイクが目の前でなされ、衣装や髪に付けられる針金のオブジェなどもその場で作られました。

私は、彼が以前からこのアートに取り組んでいるのは知っており、できあがりの写真は何度も見ていましたが、実際に制作中のところを見るのは初めてでした。
素晴らしかった!(また、モデルさんがキレイだった!!(笑))

あと、想定外だったのは、私がマイクを持って進行をすることになったことです。
コウエイから、突然の依頼で、そうなることに。(苦笑)
(ゲストで来ていただいていたご来賓の方々に御挨拶いただくなどの段取りを急遽したところです。)

彼は、年々どんどん大きくなっています。
このようなパーティーの規模も内容も、年々グレードアップしています。
本当に刺激をもらう仲間です。
私も負けずにグレードを上げていきます!頑張ります!!

ナチュラルマルシェポンテ赤レンガ館①日曜の朝は、8時から自治会行事で区域内の清掃だったのですが、雨天で延期。

そのあと午前中は、宮崎市内の友人(家族4人(子供2人を含む))が日南に訪ねてきてくれるという1年越しの予定があり、その家族と一緒に日南市油津の赤レンガ館で開催されていた「naturalmarche Ponte」(ナチュラルマルシェポンテ)に行ってきました。

振徳塾という日南・串間の若手リーダ塾にて一緒に学んでいる仲間3名が出店しているのと、うち1人は実行委員会メンバーということもありまして、楽しみにしていました。
(歩ちゃん・こうちゃん・幸太郎はお疲れさま!!)

ナチュラルマルシェポンテ赤レンガ館②ナチュラルマルシェポンテ赤レンガ館③

温かみのあるマルシェで、ワクワクする空間でした!
赤レンガ館というロケーションは、ものすごくマッチしてましたね。
子供連れの若い夫婦が多かったというのも印象的でした。
メチャクチャ可能性を感じるマルシェでした!
関係者の皆さま、お疲れさまでした!!

ナチュラルマルシェポンテ赤レンガ館④ナチュラルマルシェポンテ赤レンガ館⑤

あと、写真にあるとおり、イクメンもしてましたよ!(週末限定ですが(苦笑)。)
会場に着いてしばらくするとな眠くなったようで、写真を撮るたびに目が細くなり、遂には寝てしまいました。(笑)

ブレストマラソン北郷1.1③その後、日南市北郷町にある蜂の巣キャンプ場で行われた「ブレストマラソン」という、とあるプロジェクトに参加してきました。

「ブレスト(ブレーンストーミング)」とは、辞書を引くと、「米国で開発された集団的思考の技術。自由な雰囲気で、他を批判せずにアイデアを出し合い、最終的に一定の課題によりよい解決を得ようとする方法。」とあります。

議論のテーマは、「互郷(GOGO)プロジェクト」となっていまして、5つの郷(日南市の北郷町・南郷町、美郷町の北郷区・西郷区・南郷区)で、地域資源を生かし、連携して地域活性化を具現化することです。

「ブレスト」は、Mfnet(若手行政マン自主勉強会)でもよく使う手法ですが、これで個別具体的に物事を動かしていこう!というものでした。

ブレストマラソン北郷1.1①ブレストマラソン北郷1.1②

自分で考えたり、人の意見を聞く中で、いろいろ妄想が広がり、自分がやろうとしていることへの刺激をたくさんもらいました。

たくさんの気付きがあった会でした。
あとは、この気付きを自分自身でどう活かすかです。
しっかり前進していきます。

ワクワクする日南へ。

牧野さんを囲んで①牧野さんを囲んで②

昨夜は、日南にて、とある交流会があり、お声かけいただいたので参加してきました。
経営者から職人、商工会議所、地域づくりに取り組まれている方などなど様々な業種、幅広い年齢層の方がいらっしゃいました。

この会の一番の趣旨は、日本・世界を股にかけて地域づくりを通した活性化を支援されていらっしゃる牧野剛己さんを囲み、日南を活性化するための第一歩を踏み出そう!というものです。

チーズケーキで有名な「日南Sweets Factory MITSUKO」の船上社長の主催で行われました。
(私は船上社長にお誘いいただきました。以前から、いろいろお声かけいただき、本当にありがとうございます。)

牧野さんを囲んで③牧野さんを囲んで④

深夜まで大変盛り上がりました。
(商工会議所の黒田局長の生歌も聞けました!「赤レンガのある街」は最高です!!)

また、非常に前向きな話がたくさん出たのが何よりも良かったです!!
さあ具体的な行動を起こしていきたいと思います!!

子供の数が減っている。日南の未来は!?

実家からH24春私の故郷であり、現在も住んでいる日南市ですが、私が子供の頃と比較しても大きく変わったなと思うのは、小学校や中学校のクラス数の減少です。
つまり、子供の数が減っているということです。

先月は、私の実家がある徳之峰地区で毎年開催されている「春祈念」に行ってきました。
敬老会を兼ねて行われる地区の楽しい恒例行事です。
ステージでは、踊りやカラオケなど、いろいろ出し物が行われ、それを見ながらの宴会をするという行事になります。

私が子供の頃ももちろん行われていて、子供もステージでの出し物をするために1、2か月前から練習をするのが恒例でした。
いろいろ思い出がある、毎年楽しみにしていた地域の行事です。

私が大人になってからも、機会があったときに何度か参加していたのですが、年々会場にいる子供は少なくなっていました。
そして、遂に、この春の「春祈念」では、地元の子供は「ゼロ」でした。(あえて言えば、私の1歳の息子だけ。)
私にとっては、かなりの衝撃でした。

また、先日、日南市役所での会議に呼んでいただき、出席してきました。
その時の市役所の部長の発言でも、高校を卒業する年にあたる18歳の子供は毎年800人ほどいるそうですが、そのうち日南市内に残るのは約1割だという話がありました。
80人ほどしか残らないことになります。

もちろん、市外や県外の学校に進むことも大変良いことですので、その後戻ってこれれば問題ありません。
しかし、現実は、そうとはなっていません。
若い世代が少ないため、著しく子供が減っているわけです。

責任世代ともいわれる子育て世代が、安心して働くことのできる環境が必要なのですが、厳しい現実があります。
どうすれば若い世代が地方でも安心して仕事をし、家庭を持って生活していけるのかという考察を、明日以降書きたいと思います。

原点をブレずに。 ~児童養護施設でのこと

私は、大学時代、福岡にある児童養護施設にボランティアとして通っていました。
大学は工学部だったのですが、今、こうやって行政の道を歩いている全てのきっかけを作ったのがこの時のボランティアです。
以前のブログに、この辺のことを何度か書いていますので、今回は省略します。

慈愛園メッセージ集(以下をクリックしていただくと、なぜボランティアの経験から行政へ進もうと決めたかを書いています。
 →2008年06月08日「教え子に子供。 ~私が県庁に就職した訳」

今週月曜は、当時お世話になったその児童養護施設の先生方が仕事で宮崎に来られるということで、夜の飲み会をご一緒させていただきました。

ここ最近は、どっぷり医療の世界に浸かっていますので(これが今の仕事(担当業務)でして・・)、普段の生活では思い返すことが少なかったりもしますが、こうやって先生方と当時の施設でのことを思い返して話をすると、熱い思いがよみがえってきます。

今の職種では、どうしても制度や枠組み、予算のことなどを取り扱う仕事であるので、ついそこばかりに目が行ってしまいがちですが、絶対に原点をブレずにいなければと改めて思います。

その原点とは、私が大学時代に強く自分自身に誓った「この子供たちのために、より良い社会の仕組みづくりをするのだ」ということです。
このことは、自分のど真ん中に据えて今後も仕事をしていきたいと思います。

また、2年前に、厚生労働省で仕事をしていた時は、福祉を担当していました。
社会福祉法人の経営やあり方等にも少し関わっていましたので、同じ福祉の世界でも、現場でのボランティアとして見えることと、国という立場から見えることは、また少し違ったりもします。
こういう貴重な経験をしっかり生かしていきたいです。

久しぶりに、当時接した子供たちのことを思い出しながら、自分が何を原点にこれからを歩いていくのか再確認した夜になりました。