「﨑田の思い」カテゴリーアーカイブ

子供たちとのクリスマス。

ここずっと北欧研修のことを固い感じで書き続けていますが、今回は久しぶりに最近の出来事(やわらかい話)について書きたいと思います。

さくら学園H20①12月23日(祝)は、宮崎市内にある児童養護施設「さくら学園」と「カリタスの園 竹の寮」で開催されたクリスマス会に行ってきました。

私が、「さくら学園」のクリスマス会に参加するのは今年で4回目になります。
例年、県庁内の電子掲示板上で職員にカンパを募り、そのお金でプレゼントを買い、子供たちに手渡しています。
もう10年以上、県庁職員の先輩方有志数名が毎年訪問していまして、その伝統を引き継いで、私が昨年から全体の取りまとめ役をしています。

そして、今年から初めて、私が家庭教師ボランティアとして週1回通っている「カリタスの園 竹の寮」のクリスマス会にも行くことになりました。
きっかけは、約1年前の1月から私がカリタスに通うようになりまして、先日、施設側からクリスマス会のお誘いを受けたことでした。
一緒にさくら学園クリスマス会訪問を行っている県庁の先輩方に、カリタスも増やしてよいか相談したところ、快く提案に乗ってくださいまして、2つの施設訪問が今回実現しました。

まず、事前準備として、20日(土)に、150人近い子供たちのプレゼントを買いに街に出かけました。
幼児さんから18歳までの子供たちがいて、好みも違うだろうということで、施設に学年ごとに何人の子供がいるのか教えてもらい、それを基に年代別、男女別にプレゼントを選びます。
これが一仕事でして、10人がかりで行い、4時間以上かかりました。
(それから、領収書の整理やプレゼントの仕分け作業などを幹事役3人が残ってやりまして、プレゼント買い出しスタート時間が午前10時で、結局、この日の作業を終えたのが夕方6時でした。(苦笑))

そんなこんなで事前準備を終えまして、いよいよ本番の23日。
午前中は、「さくら学園」に行きました。
毎年、さくら学園のクリスマス会では、ステージで、幼児さん、小学生、中学生、高校生がそれぞれ歌やダンス、劇などの出し物を披露してくれます。

そして、最後に、県庁ボランティアグループの出番。
まずは、子供たちが一番楽しみにしてくれている「サックス演奏」です。
上の写真が、その様子であります。
今年は、「崖の上のポニョ」で盛り上がりました。
「ポニョ」に合わせて、ダンサブルに踊るサンタが子供に受けました。(笑)

その後、ビンゴゲームやジャンケンゲームをして、当たった子にプレゼントを渡し、最後に全員にプレゼントを渡して、「さくら学園」クリスマス会は終了。

午後は、「カリタスの園 竹の寮」へ。
スタートには間に合わなかったのですが、子供と施設の先生によるバンド演奏などがあり、茶話会がありました。
私が勉強を教えている中2の男の子が、我々のテーブルに来てくれ、楽しく盛り上がりました!

そして、サンタによる子供たちの部屋への訪問。
みんな目をキラキラさせて待っていてくれまして、本当に楽しく優しい気持ちになれた時間でした.。゚+.(・∀・)゚+.゚

さくら学園H20②

左の写真は、今回一緒に取りまとめ役を手伝ってくれた入庁2年目の後輩たちです。
彼ら彼女らには、「まつりえれこっちゃみやざき」から、地域活性化塾どんげネット、Mfnet(宮崎県内若手行政マン自主勉強会)などなど、いろんな場面で世話になりっぱなしです。

面と向かうと、いつもいじってばかりですが、ホントはもちろん感謝しております。
ネット上ですが、ありがとう。
来年以降も突っ走っていきますので、どうか私を見捨てず(笑)、一緒に突っ走ってくれることを祈っております。
お疲れさまでした。

教え子に子供。 ~私が県庁に就職した訳

最近、NHKネタと児童養護ネタばかりですが、NHK連続テレビ小説『瞳』が面白くなってきました~。
里子(さとご)として主人公宅で育ち、今は看護師として自立している恵子が、もうすぐ結婚するかもというところです。

ドラマの中で、恵子が、「早く温かい家庭を作りたいとずっと思ってた」と言っていますが、確かに、私の実感としても児童養護施設等で育った子供は早くに結婚するような傾向があるようにも思います。
実際、私が福岡で過ごした大学生の頃に、児童養護施設での家庭教師ボランティアとして、高校受験に向けて勉強を教えていた当時中学3年生だった女の子には、もう2人の子供がいます。
先日、福岡に行ったときに、久しぶりに会って色々話をしたのですが、「同じ両親から生まれて、同じように育てているのに、子供2人の性格がそれぞれ違っているのが不思議なのよね~」なんていうママトークを聞いていると、こないだまで中学生だったのに、私はもうすぐ30歳を迎えようとしているのに・・・、といった感じであります。(苦笑)

出産、結婚のため、高校を中退したその子ですが、最近になって勉強したいなと思い始めているようです。
「崎田が一生懸命教えてくれてる頃は、大切さがあんまり分からなかったけど、今になって勉強したいと思うっちゃんね。」とのこと。
その子には、まだ幼い弟や妹が4人いるのですが、高校受験の時に分からないところがあれば教えてあげたいと話してくれました。
それと、もう一つは、内心では高校をちゃんと卒業したいと思っているんだなというのも感じました。

なので、こないだ会ったそのときには、国数英理社5教科の解説とセットになっている問題集をプレゼントに持って行きました。
(その後から、時々メールで、訳や発音の分からない英単語を質問してきたので、辞書と、発音の仕方が分かりやすく書いてある単語集も、プレゼントとして宮崎から送りました。)

その日、会ったときに話したのは、焦らなくていいということ。
若い夫婦2人が子供を2人も育てているのだから、時間もお金も余裕がないわけだし、急がなくてもいい、自分のペースで頑張ればいいっちゃがと話しました。

その子より一つ年上の旦那も、しっかり定職に就き、頑張っているようで、時々ケンカもするようですが、話を聞いている限りは、2人でうまくやっているようです。
若くして母になったその子は、元々妹や弟たちの面倒見も良く、自分の2人の子供にも愛情を持って育てているようで、子供も母親も笑顔がたくさんでしたし、元気そうな姿に安心したところです。
今は、子育てと生活の基盤づくりが一番で、まだまだ若いし、焦らずに、子供が学校に行きだしてからでも、高校に再チャレンジして欲しいなと思っています。

児童養護施設などで育った子供は、時として社会との繋がりが希薄になる場合があると思います。
これからのその子の人生において、幸せに過ごせていれば私も嬉しいし、うまくいかないときは私も悲しいし、そうやって大事に思っている人間がいるよということを伝えていきたい。
私には何かしてあげられるだけの力は無いけど、喜んだり悲しんだりする人がいるという事が、本当に辛いときに、自分を大切することができて、一歩ずつでも歩いていこうと思える何かしらの支えになればと思います。

・・私にとって、その子はかわいい妹のような娘のような感じです。

工学部に通っていた私が行政の道を選んだのは、大学時代に児童養護施設にボランティアとして通った経験から。
どんな境遇に生まれたとしても、機会が平等に与えられる、頑張れば報われる社会づくりに携わる仕事がしたいと思ったからです。
技術職で入庁すれば関われる仕事が限られると思い、法律や経済などを一から勉強して、事務屋で入りました。

宮崎に戻り、仕事を始めた今でも継続している児童養護施設での学習指導ボランティアなどで子供と接する中で思うのは、社会に出たときに自立できる力を身に付けて欲しいということ。
微力だけど、少しでもその手助けになることができたらと思います。

実は、大学4年のときに、児童養護施設の職員になるか、行政の道に行くかで悩みました。
その頃、ボランティアに行っていた施設の先生に、どうすれば施設職員になれるかの相談もしていました。

(当時、特に最後のほうは週3、4回は施設に行っていまして、小学校低学年の女の子から「兄ちゃんって、施設の先生になったと?」と言われるくらいどっぷり浸かっていました。(笑))

相談した先生は、具体的にどういう資格をどこに取りに行けばなれるということも教えてくださいましたが、そのときに合わせて言われたのが、「崎田くんは、これだけ中に入って現場を見てくれているのだから、現場で改善にするのに限界がある部分をなんとかできる所に行って欲しいと思う。」ということ。
「とりあえず公務員試験を受けて、こっちに入るのはその後でも間に合うから、試験に落ちたときに相談においで」と言われました。

私自身として、そのまま施設職員になるにあたって、実は一つだけ不安があったのが、大学生ボランティアでいうのは、子供達にとって「親戚のお兄ちゃん」的ポジションでして、しっかり子供を受け止めきれるようなポジションの大人に自分が成長できるかということでした。
就職活動を控えている高校生から、「仕事ってどんなのがあって、どんな感じやと?」と質問されることがあって、アルバイト経験しかない当時の自分は、しっかり答えてあげられませんでした。

なので、最終的には施設職員になるとしても、ひとまずは社会人として別の仕事をしてみようと次第に思うようになっていきました。
そして、どうせ働くなら、福祉分野の制度を取り扱う行政にしようと思いました。
とにかく数年、組織の中で働いて、社会人としての自分に自信を付けてからの方が、精神的にも非常にハードである施設職員の職に就くには、むしろプラスだろうと。

ということで、県庁の二次試験では、「児童相談所で働きたい」としか面接官に話していません。
しかし、思い通りにならないのが人事。(苦笑)
地域振興課に配属され、それをきっかけに現在のようなプライベートでの活動が始まり、宮崎においての私は、「地域づくり」のイメージを持たれている方が多いように思います。

(↑不本意な人事だったという感じの文章になっていますが(笑)、「児童養護」しか見えていなかった私にとって、県の地域振興策を考えるという仕事をさせていただき、県内各地を飛び回るなどして、視野を広げさせてもらえ、結果的には非常に良かったと思っています。)

今も、児童養護の世界というのは一つの選択肢でありますが、それとは違った道もあるのかなとも思っています。
『どんな境遇に生まれたとしても、機会が平等に与えられる、頑張れば報われる社会づくり』という「目的」を果たせる「手段」として何が一番最適か、そのことをまずはしっかり考えたいです。

自分の持ち味をどこなら一番発揮できるかというのもあると思いますし、日南市青年団の藤沢さんとも話している「地域に誇りが持てるように」ということにも取り組みたい。

う~ん、そのためにも、もっともっと自分自身を成長させねば。
とにかく、一つ一つの事を真正面から取り組み、もがいてもがいてもがいて頑張りたいです。
さあ、やるぞ。

子供と真正面から向き合うこと。

「カリタスの園」の児童養護施設で毎週一回行っている学習指導ボランティアについて、今回は書きたいと思います。

今は、基本的に毎週木曜日に行っていて、中学2年生の男の子を受け持っています。
先週教えに行った日は、ちょうどテストの前日でした。
なので木曜日だった昨夜は、そのテストの採点結果を施設職員の先生が教えてくれました。
結果は、・・・86点!
普段は、計算問題は解くけど文章題はいつも手つかずのその子なんですが、先週の家庭教師の時間に、「このパターンの文章題が出るはず!」という私の予想問題を一点集中で訓練しまして、見事に的中。
本人としてもばっちり理解して解けたようで、答案を嬉しそうに見せてくれました。(イエイ!)
文章題について苦手意識が強く、どうせ問題文を読んでも解けないという思い込みがあり、これまでなかなか鉛筆が動かないのですが、これをきっかけに打開できればなあと思っています。

昨夜は、子供がちょっと気を良くしているうちに、解らないし嫌いだからやらなくていいと言い張っていた英語の勉強を始めることにしました。
前々から狙っていた作戦です。(笑)

これが、学生時代に結構な数をこなして身に付けた、私の家庭教師でのテクニックであります。
上から抑えつけて指導するのではなく、今回のような成功体験をどうにかして力業でさせたり、「この人の教え方なら理解できるかも」と思わせる演出をして、子供に「一緒に頑張ってみようかな」と思わせられればこっちの勝ち。(笑)
子供に対し、下手(したて)に出るようなことはしませんが、子供の中から自然と信頼感が生まれるよう、真正面から全力で取り組みます。

私自身、そんな子供と向き合える時間が楽しいのです。

話は変わりますが、先日、NHKのにっぽんの現場「君を信じておれは待つ ~暴走族脱退ボランティア~」という番組を見ました。
週末、暴走族のたまり場になる広島の繁華街で、少年達に話しかけ、暴走族から引き離す取り組みをしている方のドキュメントでした。
その方は、仕事は別に持たれている中年男性の方で、警察と連携して、ボランティアで活動をされていました。
たあいのない話を続け、少しずつ少年達の心を開かせる。なんとか立ち直らせようと尽力するが、期待通りにはいかず、何度も約束をすっぽかされ、逮捕される少年も・・。
それでも、その方は、少年を信じて接触を続け、見守り続けていました。

ここまで真剣に真正面から子供たちに向き合っている姿に、心からすごいなと思いました。
やっぱり、いつかは私もそのような仕事がしたいなと改めて思いました。

今、家庭の複雑な事情などにより、悩みを抱えている子供たちは多く存在するのに、虐待や非行行動など実際に問題が表面化しないと対応がスタートしない現状ではないかと思います。
もちろん、警察や児童相談所などの関係機関の現場で仕事をされている方は一生懸命対応されていますが、発生件数がものすごく増えているので、その数に追われ、立ち直らせるまでのフォローまで社会の仕組みとして対応できてないように感じています。

これからの社会を担うべき人間が自立できる環境を作らないと、支えられる人が増え続け、国家として地域として、社会保障費を賄いきれなくなるのではないかと思います。
私もこの分野について現場と制度をしっかり勉強して、少しでも良い社会づくりがしたいと、その番組を見て改めて思いました。
この国に生まれた子供達に、頑張れば未来は拓けるということを実感させられるようにしなければ。

幼児教育の大切さ。

ついに、九州南部が梅雨入り。
雨の宮崎の夜です。

せいぐう保育園☆3月に、清武町にある「せいぐう保育園」の卒園式に呼んでいただき、出席させてもらいました。
かなり前のことになりましたが、素晴らしい保育園だなと心から思いましたので、書きたいと思います。

なぜ呼んでいただけたかというと、せいぐう保育園で英語を教えていらっしゃる先生と以前から知り合いで、その方が園長先生に私の話をされたらしく、そんな若い方にこそ保育の現場を是非見てほしいと言ってくださって、私なんかが行っていいのかなと不安になりつつも滅多にない機会だなと思い、見学のつもりで行かせてもらいました。
行ってみたら「来賓」ということになってまして(苦笑)、「みやざきみらいフォーラム代表」と「地域活性化塾どんげネット代表」という肩書きで、卒園式の式典中に紹介されました。
(私のプライベート名刺を、その英語の先生が園長先生に見せていたみたいです。他の来賓の方は、県立高校の元校長先生や教育評論家の先生、宮崎市議会議員の方と、私・・・。保護者の方より若い私は、あまりに場違いな気がして恥ずかしかったです(苦笑)。先日、愛車レガシィの部品の交換でSUBARUに行ったら、整備士の方が、「崎田さんの職業は何ですか?」と聞かれました。その方は、その日、保護者として卒園式に来られていたそうです。若いのに、何者だ?(もしくは、何様だ?)と思ったのかもしれません。ごもっともな疑問です。(笑))

卒園式ということで、卒園証書授与とお別れの歌を歌うかわいい姿を見させてもらう感じかなと、そんな想像をしながら行ったのですが、なんと言いますか、もうほんとに凄かった!
式典中の子供たちの、背筋を伸ばして前を向き座っている姿、返事の声、卒業証書をもらいに行く時の態度、そのどれをとってみても素晴らしかったです。
年少さんも含めて、落ち着きなくキョロキョロしてしまう子供がいなくて、みんな式典というものの意味が解っているのか、本当によく集中していました。
そして歌の時間になると、とっても元気よく歌う子供たち!

その時の空気を、上の文章でちゃんと伝えられているか不安です。
私の稚拙な表現だと押しつけた管理の結果そうなるのかなと思われてしまうかもしれませんが、そんな感じじゃないんです。
子供たちの目はキラキラしてましたし、凛として姿勢を正して座っている姿、生き生きとして歌っている子供たちに、本当に心から感動しました。
まさか行くまでは、卒園式でそのような感動する気持ちになるとは思いませんでした。

式典が終わってから、園児たちによる、みやざき県民総合スポーツ祭の開会式でも披露されたというマーチングの曲の演奏がありました。
上の写真が、その演奏をしている様子です。
東国原知事にもお褒めの言葉をもらったというその演奏は、本当に素晴らしかった.。゚+.(・∀・)゚+.゚

幼稚園児に、ここまでの集中力をつけさせる教育というのは、どのように行われているのだろうと心から思いました。

子供たちを見ていて、厳しいだけのスパルタ教育の結果という感じはしませんでした。
それだけでは、あのような生き生きとした目をしながら、あれだけの集中力を生むとは思えないのです。

この「せいぐう保育園」の教育方法を、もっとよく知りたいと思いました。
機会があれば、今回のような座っての演奏ではなく、噂のマーチングを生で見てみたいなと思いましたし、運動会でそれが見れると聞きましたので、是非行きたいと思います!

このような機会を与えてくださった、その英語の先生と、園長先生に心から感謝申し上げます。

福岡で過ごした大学時代に、児童養護施設で毎週日曜日に子供たちと遊ぶというボランティアをしていまして、その時に、幼児の子たちともよく遊びました。
鬼ごっこをしたり、土筆を取りに行ったりするなどして普段は遊びましたが、保育園の運動会に行って、子供と一緒に父親参加競技に出たり、参観日に行ったりもして、ボランティアの割には、かなり濃く接する機会を持たせてもらいました。
その施設では、年に1回、基山という山に山登りに行ってまして、幼児の子たちの引率の手伝いをする時など、距離が長くてくじけそうになる子供たちに、「頑張って歩いて、頂上でおいしいお菓子を食べるぞ、オー!(笑)」とか語りかけながら、なんとか頑張って自分の足で登り切らせ、最後に達成したときの喜びは格別でした。

幼児期の教育というのは、本当に大切だと思います。
人としての礎を作るこの時期に、愛情をもって接していくことの大切さを、僅かな経験しかありませんが、大学時代のその経験から感じています。

先日、孤児の父と呼ばれる「石井十次」の友愛社で勉強させていただいたときにも改めて思いましたが、資源の無い日本が安定した社会を築いていくためにしなければならない投資は「人」だと思っています。
国や地域を引っ張っていく人材を育てていくことも大切ですし、どのような境遇に生まれても、頑張れば頑張った分だけのチャンスが与えられる社会づくりをしなければなりません。
生活保護や児童養護の分野において、誰しもが社会において自立していけるだけの力を身に付けられるようにするためには、やはり「教育」が重要です。
そういう意味で、限られた財政の中において高い効果を上げるためには、「人材育成」に投資を行うことで、社会の下支えをしなければならないと思っています。

「せいぐう保育園」の卒園式に出席させていただき、教育の大切さを心から実感させてもらった一日になりました。

29回目の誕生日の夜に思う。

消防操法練習H20.5.25
昨日は、消防団の操法大会の練習日でした。
本番は、7月6日(日)です。

(JCのブロック大会と日程が重なっているようです。その日は、消防団を優先したいと思ってます。)

先日、遂に、29歳になりました。

誕生日前夜は、地域活性化塾どんげネットの定例会で「まつりえれこっちゃみやざき」の打ち合わせを行って、次に消防操法大会の練習に行き、最後は、居酒屋「照」にて、画家の孝英や呉服屋の健作などなどの宮崎市メンバーと、日向市でまちづくりに取り組む「すこっぷ」メンバーの鈴木宝祥くんをはじめとした日向の皆さんとの異業種交流会。そして、その場で深夜0時を回り、誕生日を迎えました。

その誕生日を迎えた直後に友達から電話がかかってきて、「誕生日おめでとう。今夜は何してるの?」と聞かれ、上記の事をしていたと話すと、「この1年を象徴するような28歳最後の夜やね。」と笑われました。(苦笑)

誕生日当日の夜は、仕事を終えた後、宮崎市内にある『社会福祉法人カリタスの園』の児童養護施設「竹の寮」にて、毎週一回行っている中学生への学習指導ボランティアをしていました。

4月から新たに受け持っているその中2の男の子は、私が誕生日なんて知るわけもなく、いつものように時間が流れました。
でもその日は、その子を教えるようになり1ヶ月と少し経って子供も慣れてきたのか、いつもより笑顔や冗談も多くて、教えている私も楽しい気持ちに。

そして家庭教師が終わり、車を運転して、誰も待ってない一人暮らしの自分の部屋に帰る途中、子供とそうやって接して誕生日の夜を終えようとしている自分が、そんな過ごし方も悪くないなって自然に思えて、自分らしくもあり、そう思えた自分を少しだけ誇らしくも思えました。

さあ、20代最後の一年間がスタートしました。
県庁に入り、25歳になった頃、新社会人としての不安や、自分が将来なんとなくイメージしている場所が実際に社会人になって見てみるとあまりにも遠くに感じるなど、これからどうしていいのか分からなくなってました。
でも、うじうじ考えていても仕方がないなと開き直り、とにかく20代の残り5年間は、目の前にあることをがむしゃらに頑張ろうと思いました。
何もない自分が、頭の中で考えているだけでは何も始まらない、とにかく動いて、たくさんの経験を積まねばと。
そうする中で、何か見えてくるかもしれないと考えていました。

それから、がむしゃらにやっていくうちに、たくさんの出会いがあり、周りの人たちにも恵まれ、なんとかこの4年間を歩いてきました。

4年前、自分は一人の大人として、充実した30代、40代、50代を歩んでいけるのだろうかという漠然とした不安をいつも感じていました。
もちろん今も、不安や悩みは尽きません。
でも今は、縁があった目の前のこと一生懸命取り組む中で、おぼろげだけど自分がどう生きていきたいのかが見えてきているようにも思えています。

これからも謙虚に、現状に満足することなく、一つ一つ経験を積み上げ、自分を成長させれるよう頑張るぞ。
みなさま、今後とも「崎田恭平」をよろしくお願いいたします。
この一年も、走り続けたいと思います。