「勉強会・STUDY」カテゴリーアーカイブ

東京で、『日南』。

東京に戻って1週間以上過ぎました。
一瞬で仕事モードです。

高島屋①日曜日は、日本橋高島屋に行ってきました。
宮崎の物産展である「日向自慢みやざき展」が開催されているからです。

日南からも、マンゴーソフトがおいしい「道の駅なんごう」や、チーズケーキがとってもおいしく有名な「シェ・しらはま」などが出店されていました。

地域振興課時代からお世話になっています「道の駅なんごう」の横山駅長も来ていらっしゃって、マンゴーソフトを作られていたのですが、途絶えることのない行列で、超お忙しそうでした。
私も並んで買いましたが、変わらず美味しかったです!

また、店頭に立たれていた「シェ・しらはま」の社長さんと初めてお話をさせていただきました。
意欲的に事業に取り組まれているその姿勢に、私が元気をもらいました!

高島屋②そして、何を言いましても、「プリン工房イーナ」も出店しています。
社長である森山忍くんは、私のいとこです。
(←忍くん。日南市大窪出身。)

大都市の有名デパートで行われるこのような物産展にしょっちゅう呼ばれていて、全国を飛び回っています。

県庁の東京事務所の先輩からも、「あそこの焼酎プリンが好きなんだ」という声をいただきました。
宮崎市内に店舗がありますので、是非是非食べてみてください!とっても美味しいですよ.。゚+.(・∀・)゚+.゚

ノンパと川崎さんそれから新宿に移動し、「宮崎県日南市塚田農場」に行きました。
名前を聞いて、何?って感じかと思いますが、居酒屋の名前です。
日南市に直営の地頭鶏の農場があるとのことで、チキン南蛮も地鶏のもも焼きも美味しく、東京の人に宮崎料理を食べさせたいときは、ここが最高です。
最近、かなり通っている店です。
接客も元気がよく、面白くて素晴しいのですが、何と言っても店の名前がいい!新宿のど真ん中に、「宮崎県日南市」の看板が光っています。

そして、一緒に飲んだのは、東京の公務員を中心とした若手の自主勉強会メンバーです。
県庁の先輩でMfnetメンバーである川崎さんが、東京勤務時代にこの勉強会に参加していて、今回、川崎さんが上京するということで、これだけの人が集まりました。
川崎さん、すごいです。
私も、川崎さんたちからの紹介で、何度かこの勉強会に参加しています。
この日は、東京都庁や八王子市役所、帝国ホテルなど、いろんな職場の方が集まりました。
固い話から柔らかい話まで、とっても盛り上がりました。

土曜のことも書こうと思いきや、時間切れです。
今から出勤します!

夏休み。

東京から帰宮⑤久しぶりの宮崎です。
帰ってきた初日は、空港から直で県庁に行き、仕事上やり取りをさせていただいている福祉保健部を中心に、東京へ送り出していただいた西都土木関係(県土整備部)、地域振興課時代の先輩方などのところに挨拶に行ってきました。
訪ねた先々で話が盛り上がり、結局当初予定していた全てを回りきることができませんでした。(苦笑)
(西都土木事務所にも行きたかったのですが、車も無く、そもそも西都に行くことができませんでした。残念無念。)

東京から帰宮①2日目は、地元の日南市巡り。
←まず最初は、日南市青年団の会長である藤沢さんと、同じく青年団事務局長の山下さんが、最近、事業をスタートさせた通所介護の施設見学です。
ここは、日南の鍋倉設備工業(株)の一つの事業として運営されています。
先日、宮崎日日新聞の記事としても取り上げられたようです。
施設は、民家を改修したもので、床や壁はもちろんものこと、机やイスにも飫肥杉がふんだんに使われていて、また、場所も自然豊かなのんびりとした所にあり、非常に落ち着いた気持ちになれる環境が整えられていました。

お忙しい中、鍋倉設備の社長さんも駆けつけてくださり、とても嬉しかったです。
とても若い社長さんで、藤沢さんやスタッフの方とも一緒に、日南に住む若者が元気になるまちづくりをしていこうという話で盛り上がりました。

東京から帰宮②お昼になり、急いで、日南市社会福祉協議会の北郷支所に向かいます。
ここで、嫁の奈緒が4月から働かせてもらっています。
前から、帰省したときには、一度ご挨拶に行かねばと思っていたのですが、今回やっと実現しました。
「お昼は、料理を持ち寄るので、食べに来られませんか?」という、ありがたいお言葉をいただき、甘えさせていただきました。

職場に行ってみると、かつおのたたきから、くさだご、地元野菜のサラダなどなど、食べきれないと思うほどの料理が並べられ、とっても感激でした。
どれもこれも、とっても美味しかったです。
本当にありがとうございました。

東京から帰宮③そして、何を言いましても、元気のいい職場でありました。(笑)
北郷弁や日南弁で怒涛のごとく会話が繰り広げられ、最後まで笑いが絶えませんでした

渡辺支所長を始め、ごうや先生、寺坂係長、山下さん、やまわきさん、かりきさん、お団子を持ってきてくださった前田さん、本当に皆さま、ありがとうございました。

(↑ 写真撮影にもご協力ありがとうございました

東京から帰宮④北郷町と言えば、農園ぴくにっく!
ということで、次に向かったのは、古谷さんご夫妻のところです。

県庁入庁後、最初に配属された地域振興課時代に、仕事で関わらせていただいて以来、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいています。

今は、嫁を時々「農園ぴくにっく」に呼んでくださるようで、お手伝いとかもさせていただき、楽しい週末を過ごさせてもらっているようです。心温まる午後の時間でした。

東京から帰宮⑧東京から帰宮⑥

夕方からは、日南線に飛び乗り、宮崎市内へ向かいます。
Mfnet(宮崎県内若手行政マン自主勉強会)のメンバーが集まってくれるとのことで、Mfnet御用達の「嵐坊」で地鶏を腹いっぱい食べて、飲んできました。
(右上の写真は、決して私じゃありません。N尾が勝手に私の携帯で自分の写真を撮っていたので、こういう結果に・・・。)

東京から帰宮⑦都城や小林、日向などからも含めて、13,4人くらい駆けつけてくれました。
(←女性陣に囲まれて)

東京から帰宮⑨叫んで笑って飲んで、東京での鬱憤(?)を存分に吐き出させてもらいました。.。゚+.(・∀・)゚+.゚

東京から帰宮⑩この日最後に会ったのは、画家の小松孝英くんを始めとした民間人グループ。
「居酒屋 照」→「かぶとむし」へと、宮崎時代のいつものコースで締めました。

←照では、大森うたえもんさんがいて、新婚の私たちへ向けて弾き語りのプレゼントをしてくださいました!
嫁も私も、愛のこもった温かい歌に感激しました。うたえもんさんは、とても気さくな方でした♪

東京から帰宮⑪次の日は、早朝から、日南市のゴミ収集場に行き、ペットボトルのふたの袋詰め作業をしてきました。

(←青年団の藤沢さんと)

これは、日南市青年団が取り組んでいる事業で、地道な取組が実を結び、市内の様々なところでフタの回収が行われています。
集めたペットボトルのふたは、リサイクルされ、その対価でワクチンがなく病気で苦しんでいる世界の子どもたちへワクチンを届けることができます。

この日は、30袋になりました!
汗だくになりましたが、とても爽やかな汗です。
これまでも何度か、私もこの作業に参加していますが、いつも晴れやかな気持ちになれます。

東京から帰宮⑫ということで、宮崎帰省中の全てのことは書ききれませんが、とにかく濃い数日間を過ごしてきました。

あ、実家にも、最終日の夜にやっと帰りましたし、弟夫婦に子供が4月に産まれましたので、初めての姪っ子にも会ってきました。

そんなこんなで、宮崎・日南にて心の充電をしっかりしてきましたので、残り7ヶ月、東京でまた頑張れそうです。頑張ります!

愕然たる現実。

宮崎空港に到着しました。
今月末に行う次年度概算要求の準備と、9月以降の国会の間となるこの数日、やっと夏期休暇をもらうことができました。

このまとまった休みを取るために、最近ずっと普段以上に仕事と格闘し、睡眠不足などで体がだるいのですが、宮崎の突き抜けるような青い空を見たら、そんな疲れなんて吹き飛んでしまいますね。

夏休み前の昨日、仕事をするなかで、「これが霞ヶ関なんだ」と思わせる象徴的な出来事がありました。

地方分権の担い手として、この愕然たる現実と、どう対峙していくのか。

昨夜は気持ちが高ぶってしまい、なかなか眠れず、今乗っていた飛行機の中では、昨日の会議を聞いた中で感じた地方の立場からの論点を個人ノートに整理しました。
これから、より良い地域社会を実現するために、私として何をしなければならないのか、自分自身にどういう力を付けなければならないのかということが、そのときから、そして今もずっと頭から離れません。
現実を良い方向へ個別具体的に変えていける力を身につけたい。
そのために、もっともっと勉強して、もっともっと多くの経験を積まねば。
もっともっと頑張らねば。

夏期休暇。

今年のお盆は、東京で迎えました。
夏期休暇は、できることならお盆の時期に取りたかったのですが、課内の予算係長に、随分前から「夏になったら8月中下旬まで、崎田君の係は、予算関係の資料作りがたくさんあるから、夏期休暇を取るのはその時期を外してくれ」と言われていて、かといって9月になると、国会も始まりますが、財務省と本格的なやりとりも始まるので、そこも厳しいモヨウ・・・。
夏休みを取るには、この時期に何とか早く仕事を片付けて、8月の最後の数日で取るしかないようで、今、頑張っているところです。
ということで、ただいま帰宅して、シャワーを浴びたところ。
今週は、いろんな仕事の締切日がやってくるので、正念場です。昨日、今日と仕事の段取りが悪かった。反省です。
とはいえ、気力体力ともに充実しているので、しっかり乗り切りたいと思います。(カーテンの向こうが明るくても、ゾッとすることはなくなりました。(苦笑))
仕事も東京生活も面白い。この状況を楽しんで頑張ります。
やるぞー。

終戦記念日、靖国神社にて。

靖国神社②
終戦記念日の8月15日(土)に、靖国神社に参拝してきました。

正直に申しますと、終戦記念日には靖国に参らなければということを以前から考えていたわけではなく、土曜日の朝から1週間分の溜まった洗濯をし、部屋の掃除機をかけ終わる頃、「あ、今日は終戦記念日だ」とふと思い出し、靖国神社に行くことにしました。
実は、私が住む職員寮から徒歩5,6分のところに靖国神社はあります。

東京に引っ越してきたばかりの春に、どんな街なのか探検しようと近所を何となく散歩していたら、思いのほか近くに靖国神社があり、そのときは時間の都合上、神社に手を合わせただけでした。
せっかく近くに住んでいるのだから、いつかは資料館等も含めてゆっくりと行こうと思っていたので、よい機会だと思いました。

靖国神社⑤
一人でてくてく歩いていき、靖国神社に近づいていくと、前に偶然辿り着いたときとは全然けた違いの多くの人がいて、非常に混んでいました。
街宣車もいくつかあり、警察官も多くいて、なんだか不穏な空気がありました。

靖国神社③しかし、境内は落ち着いた空気で、若い人から子供を連れた家族や、お年寄りまで、幅広い世代の方が参拝に来られていました。
左の写真のとおり(少し分かりづらいですが)、参拝するまでに長蛇の列ができていたのには驚きでした。
周りを見回すと、意外と20代くらいの若い世代が多いなというのが印象です。今どきの若いカップルも結構いました。

靖国神社④参拝が終わると、境内にある資料館に行きました。
(←資料館の中の展示物は撮影禁止であったので、入り口にあった戦闘機だけ撮りました。)

中の展示内容は、太平洋戦争のことだけではなく、主に黒船来航以降の歴史から始まっていました。
恥ずかしながら、靖国神社というのが、江戸末期以降、戊辰戦争などにおいて、天皇や政府側の立場で戦没された方たちを祀った神社であることを今回初めて知りました。
(私は、第二次世界大戦に関する戦没者の方のみを祀っていると思っていました。)

宮崎に多くある、神話に登場する神様や天皇を祀っている神社とは、全く異なる性質の神社となります。

靖国神社①
私の祖父は、戦艦大和が最期に沖縄戦に向かうその中にいたそうです。
祖父は、大和が沈むときに海に投げ出され、南方の島に流れ着き、奇跡的に生きて帰ってくることができたそうです。
そして祖母と結婚して、母が生まれて、今の私があります。
その時、祖母は再婚で、最初の夫は戦死されたそうです。
子供がいなかったため、祖母は再婚しました。
私が生まれ育った実家には、祖父の遺影と、祖母の最初の夫の軍服姿の遺影が飾ってあります。
祖父は私が生まれる前に亡くなっていましたが、ばあちゃん子だった私に祖母が何度か話してくれました。

資料館には、戦艦大和のことや硫黄島のことなども展示されていて、ここにも非常に多くの人が来場されていました。

靖国神社⑥境内を出て、本屋に行こうと思い、神保町の方向に歩いていると、先程、神社に向かうまでに感じたものとは全く違うレベルの不穏な空気が漂っていました。
どういう主張を持ったグループなのかは分かりませんでしたが(考えの違う複数のグループの衝突であったような感じもしました)、警察官とにらみ合っていて、街宣車がバリケードの中に追いやられているなどしていました。
このことは、特に、その日の夕方のニュースでも流れていなかったように思いますし、8月15日の東京は、いつもこのような感じなのかもしれません。

最後に、今回、靖国神社に参拝して思ったことを書きます。

先の戦争の歴史認識問題について、いろんな見方、考え方があり、今でも論争が巻き起こります。
近年は、インターネットの時代となり、「ネトウヨ」(ネット右翼)という言葉まで出てくるなど、ある意味盛んになっている面もあるように思います。

私の第二次世界大戦の歴史認識について、ここでは述べませんし、正直、そんなに強く主張したいと考えている事柄もありません。

但し、私は子供の頃から歴史が好きで、高校時代に理系であったのに、当時、普通は負担となるため理系学生が選択しない「日本史」を、好きだからという理由で選択していましたし、大河ドラマも好きですし、歴史を勉強することを軽視しているわけではありません。
これからの時代を見据える上で、近代に限らず歴史をしっかり勉強しなければならないと思っています。
(しかし、現状として勉強が足りないので、常々もっと勉強しなければと思っています。(苦笑))

私が、今回、靖国神社の本殿に手を合わせたときに思ったことは、ただシンプルに、「戦争のない世の中を作っていきます」ということでした。

靖国神社を出た後の、デモのような衝突を見てみても、先の戦争についていろんな見方や考え方があるのは分かりますが、とにかくその歴史から学ぶべきことは、平和な社会を作るんだということだと私は思います。
ただただ、そのシンプルなことを、これからも継続していかねばならないと強く再確認した今年の終戦記念日でした。