﨑田 恭平 のすべての投稿

チームバタフライ始動☆

チームバタフライ結成①
一つ前のブログに書いています古墳まつり打ち合わせの後、チームバタフライ結成の飲み会に行ってきました。
(集まった店は、いつもいつもお世話になってる居酒屋「照」です。今晩も、隼人先輩、宮野さんアリガトウ。)

昭和54年4月から55年3月生まれの同い年で作ったのが 「チームバタフライ」。
今日は、かなり時間が遅くなりましたので、詳細はまたいつか書きます。
このグループで最初に取り組もうということになったのが 『西米良芸術祭』!

チームバタフライ結成②
画家の友達の孝英と、前からやろうやろうと話してた「チームバタフライ」が、遂に始動です。
今日は、画家、公務員、呉服屋、マスコミ、不動産関係、SE、妊婦が集まりました。
宮崎を熱くできるよう頑張ります

崎田恭平

地域の伝統をつくっていくということ。

西都古墳まつり191010①
今晩は、まず、西都古墳まつり総務会及び三役会を行いました。
(←いつも飲んでるばかりじゃない田爪実行委員長。)
田爪さんには、私の総務班長としての仕事がいつも後手後手になってしまっていて、ご迷惑とご心配をかけております

今日は、「チビッコ探検隊」の打ち合わせも行われていました。
高校生たちもスタッフとして参加しています。

先日の古墳まつり結団式で、高校生の女の子が、「大学に進んだ後は、また古墳まつりに関わりたいので、できることなら将来は西都で仕事を見つけたい」と、私に話してくれました。
オジサン(←私)は、その話を聞き、とっても嬉しかった
地域で、一生懸命まつりに取り組み、汗をかいている大人たちを、近くで見ている子供の口から、そのような言葉が聞けるというのは本当に素晴しいことだなと心から思いました。

西都古墳まつり191010②
私も少しだけですが、この祭りに関われて本当に幸せだなと思ってます。

祭りは、11月3,4日です。是非みなさん遊びに来てください!

崎田恭平

人生の分岐点

まだまだ若い私ですが、今までの人生において、分岐点は2回あったように思います。

一つ目は、高校を卒業するとき。
第一志望の大学に落ちてしまい、浪人するか、合格していた防衛大に入学するか悩んだこと。
父は、防衛大を強く勧めました。
あんなに父と激しくケンカしたのは、あのときが初めてだったように思います。
最終的には父が折れてくれ、浪人させてくれました。
父に本当に感謝しています。

(よく考えたら、浪人後にも分岐点がありました。
東京の私立大に行くか、福岡の国立大に行くか。
現役のときも私立には合格していたのですが、弟が2人いたので、両親から私立ではなく国立じゃないと行かせられないと言われていたのもあり (まあ、現役のときは自分も私立に行く気は無かったですが)、そのときは悩みませんでした。
浪人後に合格していたのは慶應で、父が、恭平がそこまで頑張ったのなら自分も頑張ると、慶應に行きたければ行ってもいいと言ってくれたので悩みました。
結局、学科が、九大がエネルギー科学科(学際系)、慶応が機械系だったことが一番の決め手となり、かなり悩みはしましたが九大を選びました。
ちなみに『学際系』と書きました「エネルギー科学科」についてですが、もちろん「エネルギー」にそんな意味はありません。「学際」の「際」は、「国際化」の「際」と同じ使い方で、学問領域の枠を超え、広く理系のいろんな分野を学び、理系のゼネラリストを育成しようという学科です。
機械系、電気系、材料系、土木系、原子物理学、流体力学・・などなど、大学で学びながら色んな分野を知った上で、あらゆる理系分野に進むことが可能な学科だったのに、今現在、全然違う職に就いてます(笑)
東京で大学生活を送っていたら、また違った人生になってたかな?)

二つ目は、理系の大学院に進み、技術者か研究者として生きていくか、事務屋として行政マンとして生きていくか悩んだこと。
昔のブログ6/28「もっともっと走らなきゃ」7/11「今、思うこと」にもチラッとそのときのことを書いてます。
学生時代に、児童養護施設にボランティアに通った経験から、今の道を選ぼうと思うようになりました。
当時、実験や研究に追われながら理系人として6,7年なんとかやってきて、しかも浪人までして入った大学。
エンジニアとしての就職先は選べるくらいたくさん選択肢がある中で、付け焼刃の法律や経済の勉強で、法学部や経済学部の連中と戦うということには、非常に不安とリスクがありました。

今日は、なんでこんなことを書いたかというと、ある方からある話をしていただき、いろいろ考えさせられたからです。
今、私が考えている分野ではなく、違う分野に興味を持って突き進んではどうかとのこと。(←かなりアバウトに書いてますが)
その方からいただいた言葉は全くその通りで、私の考えの甘さも含め、いろんな指摘をもらいました。

私が出した結論は、今は、目の前にあることについてしっかりと取り組み、一つ一つ積み上げていくということ。

特に、二つ目の分岐点の時がそうだったのですが、受け持っていただいた教授からも反対され、研究室の先輩方や同級生からも「あいつは大丈夫なんか?」という目で見られ、自分で自分を客観的に考えてみても危ない橋だとは分かってはいたのですが、不思議と迷いはありませんでした。
なんとかやれるという根拠のない自信が自分を突き動かしてくれました。
「今、この道だ」と思えたのです。
(思い込みが激しく、意外と頑固な私です。)

・・・なにが言いたいんだって感じですが、自分でもこれ以上どうまとめていいのやら(笑)。(分かる人には分かるかも)
ブログは、人を傷つけたりしない限りは、自己満足でかまわない場と思ってますので、お許しを。今日はこの辺で。
眠くなってきました。オヤスミナサイ。

崎田恭平

「宮日総合美術展」で思ったこと。

昨日は、宮崎県立美術館で開催されています「第59回 宮日総合美術展」に行ってきました。
小松孝英くんのパーティーで何度か会ってる児玉陽亮さんの「第59回宮日総合美術展絵画部門で3度目の特選を受賞、これまでの最年少より3歳若い25歳で無鑑査入り」という記事を読んだからです。宮崎日日新聞の「この人」にも取り上げられていました。
(10/1のブログに書いていますパーティーにも児玉君は来ていました。)

・・正直、これまで芸術に非常に疎かった私。
今回、美術館に行こうと思い立ったのは、児玉君の新聞記事もですが、こうえい(「小松孝英ブログ」はこちら。10/7には私の写真も載ってます。)とよく一緒に遊ぶようになり、各分野で活躍するアーティストの友達も増え、そこで知り合った人たちの個展に行ったりするようになって、「芸術」というものに興味を持つようになったのも大きいと思います。

何度か会っていながら、児玉君の絵は、失礼ながら今回初めて見させてもらいました。
抜けるような青空と海、美しい夕焼け空、遠くに見える飛行機雲。その雲を出している飛行機の音が心地よく空から聞こえてきそうな爽やかな絵でした。見ていて清々しい気持ちになりました。
『無鑑査』というのは、3回特選を取らないといけないのですね。(恥ずかしながら会場で知りました。すごいことですね
これ以外の児玉君の作品も是非見てみたいと思いました

会場には、彫刻、写真、デザイン、書道などの作品がたくさん展示してあり、一つ一つ鑑賞しました。
見ていて思わずにっこりしてしまう写真や、描かれている人はどんな気持ちなんだろうと考えさせられる絵画など見ていて、いろんな作品をゆっくり鑑賞するというのはいいもんだなと思いました。

美術館の常設展も見てきました。
こちらは、ピカソや瑛九などの作品が展示してありました。(美術の教科書にも出てそうな有名な方の絵もたくさんありましたが、なんせ芸術に疎いため、画家の名前が頭に残りませんでした(苦笑))

帰ってきてからずっと頭に出てきたのが、いつも身近に見ていた孝英の絵のこと。
美術館での絵の鑑賞というのは初めてと言ってもいいくらい芸術に疎かった私。
今回、美術館に行って初めて気付かされたのは、孝英の絵の存在感でした。
もちろん前から素晴しい絵だなとは思っていましたが、改めてたくさんの絵を見てみて、孝英の絵ほど重厚感があって、心の中にずっしり伝わってくる絵ってそうあるもんじゃないんだなと気付かされました。

小松孝英HP「gallery」から孝英の絵を見ることができます。が、生で、目の前で見る絵から受けるものとはおよそ違いますので、個展など見る機会があるときには是非一度足を運んで、生でその絵を感じてみてください!)

・・・これだけ仲良くなっておきながら、今頃そんなこと言ってるのかと孝英に言われそうやね(笑)。
今以上に有名になりすぎて、とても買えなくなりそうになる前に、自分用に絵を書いてもらいたいなと思いました。
冬のボーナスは車検で消えるので、来年の夏のボーナスくらいで(笑)。

私に、芸術の世界への興味を持たせてくれた孝英やカメラマンの酒生兄貴たち皆さんに感謝☆

崎田恭平

小松こうえい会

前回のブログに書いていますMfnet勉強会の懇親会後に、現代美術家の小松孝英くんたちとの飲み会に行ってきました。
今日も、いつものメンバーで楽しく飲みながら語らいました
今日は結構、恋話で盛り上がりました~

孝英会①
こうえい絵画教室のキレイどころの皆さん。
(みらいフォーラム副代表の児玉健作を含む)

孝英会②
やんちゃ坊主の3人(右から県庁職員、画家、参議院議員)と女教師の千草さん。(なんで「女教師」かというと、メガネがすっごく似合ってるからただそれだけです・・・(笑))

眠い!!!オヤスミナサイ。

崎田恭平