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「こんなになまっている人は初めてです。」

全社協H21.4(←仕事上、うちの課と、いろんな絡みのある「全社協」の玄関前の写真。「全社協」とは、全国社会福祉協議会の略です。4月1日まで、私が厚生労働省で具体的にどんな仕事をするのか分かっていませんでした。宮崎に置いてきた嫁は、同じく4月1日から日南市社会福祉協議会で働いています。まさか私も社協と仕事をするようになるとは思いませんでした。こんな偶然もあるもんです。)

仕事をする中で、毎日のように全国の自治体や福祉施設で働いていらっしゃる方から、法律や国が出している通知などの解釈の問い合わせがあります。
それに答えていくのも重要な仕事の一つです。

そんな毎日の仕事の中で思うのが、私のどうしても抜けない宮崎弁についてです。
まあ、普段の生活の中では、東京にいるからということで本気で宮崎弁ではなく標準語を話せねばとは思っていませんが(苦笑)、全国各地の方からの問い合わせに電話で答えていると、なまりまくっている自分の言葉が申し訳なく感じてしまいます。

まず、その1つ目の理由として、「私の言葉がちゃんと伝わっているのか?」ということです。
仕事として対応する中で、相手方に正確に伝えるべきことが伝わっていなかったら、それはまずいことです。

2つ目の理由としては、地方から厚生労働省(東京)に電話をかけているのに、なまりまくっている人が電話に出て、法律や通知の解釈説明をされたときに、「これはほんとに国の人なの?間違い電話じゃないよね?」とか思って、不安な気持ちになられているのではないかと思うことです。
自分が逆の立場だったら、そう思うだろうなと思ってしまいます。

同じ職場の方たちに、その話をすると、「逆に親近感を持ったりしていいんじゃないのかな」とか言ってくださいますが、イントネーションを直すのは無理だと半ばあきらめているにせよ、せめて単語だけは宮崎弁を使わないようにせねばと思います。(←当たり前だ。伝わらないだろ。)
と、自分でツッコミを入れながらも、自分のイントネーションのどこを直せば標準語に近づくのか皆目見当がつかないのはもちろんのこと、単語や言い回しも、どこが宮崎人しか伝わらない言葉なのか自分で気付いていないからどうしようもないところです。(苦笑)

でも、一生懸命に説明すれば、伝えるべきところは伝えられているのあろうと、今のところ思っているところです。
(まだ、「もう一度言ってください」とか、「聞き取れなかった」とかは一応言われていません!)

私の席の前は、埼玉出身で都内の大学を卒業したばかりの社会人1年生の女性が座っているのですが、会話をする中で、私が自然体で宮崎弁を話していると、時々何を言っているのか分からないときがあるようで、そのときにピタッと固まるのが面白いです。(←やっぱり宮崎弁を直す気がない。)

先日、昼休みに、食事後に自分の席に座っていると、保険会社営業の女性の方が話しかけてこられました。
多分、私が新しい顔なので、新規契約が取れるかもという風に思われたのかもしれません。
その数日前に、同じく昼休みに同じ方が職場に来られて、私は仕事上の来客だと思い、名刺を出されたので名刺交換をし、そのときはそれで終わり、再度その日にやって来られました。
予想通り、保険の説明(営業)が始まりましたので、契約できないのに時間を使わせるのも申し訳ないと思い、正直に、「宮崎県庁から1年間だけここに来ていて、宮崎に残っている妻がその辺のところは決めているので・・」と話すと、「先日、名刺交換させていただいたときは気付きませんでしたが、確かに、この建物で、こんなになまっている人は初めてです!」と笑顔で言われてしまいました。
あー。(笑)

宮崎弁が通じない。(←当たり前だ)

国会議事堂前にて(H21.3)只今、仕事帰りです。
(自宅近くのネットカフェで更新中です。)

まだ我が家はネット環境になってません。
その上、テレビもありません。(苦笑)
まあでも、宮崎時代と変わらず、睡眠と風呂くらいしか部屋にいないので、特には困っていないところです。

県庁時代と同じく、厚生労働省での具体的な業務内容は書きません。
(今は特に、よその組織にお世話になっているので、なおさらです。)

とはいえ、ざっくりどんな感じなのかというと、社会福祉施設全般の取りまとめをしている課にいます。
児童、老人、障害、保護などなど、ほんとに広い範囲を管轄していますので、一つ一つの仕事をする中での取り扱う各分野の背景も押さえなければならず、悪戦苦闘しています。
でも、仕事を進める中で、福祉分野全体を知ることになるので、とても勉強になります。

あとは、「せとぽん」さんが、このブログのコメントに書いてくださったようなことが、どうなのかという視点も持ちながら、日々の仕事に精進したいと思います。

毎日、夜遅くまで仕事をしていますが、今のところ、宮崎時代も深夜0時までに自宅に帰りつくことはなかったので、体力的には全然大丈夫なところです。
(まあ、今からが本番なのかもしれませんが。(笑))

宮崎時代(特に出先機関にいた西都時代)は、仕事で毎晩遅くなっていたわけではなく、フォーラムをやったり、祭りの準備をしたり、勉強会を開催するなど、同時進行でいろんなことをしていたということで帰りが遅くなっていました。
その点、今は、一つのことしかやっていないので、残業が続くとはいえ、精神的にも肉体的にもなんとかなります。

ただ、宮崎時代と一つ違うのは、職場での声が少し小さくなったかなとは思います。(苦笑)
県庁では、電話での応対など、非常にでかい声で話していたように思いますが、今は仕事の前提となる知識を勉強中であるので、ちょっと自信が無いというのが起因しているのでしょう。
早く、そのくらいはなんとかします。

あ、あと、宮崎弁と標準語のしゃべり分けができないので(汗)、元々早口な私は、相手に聞き取ってもらえるよう言葉を選ぼうとする(でも、実際は全然できてない)のも、原因の一つです。

遅くなりましたので、今夜はこの辺で。

悪戦苦闘

ただいま、帰りの地下鉄を待ちながら、携帯で更新してます。

福祉分野を仕事としてするのは初めてということで、一部親しみのある分野もありますが、多くは初めて出くわす用語ばかりで、悪戦苦闘してます。
まあそれでも、これまで学生時代からボランティア等をするなかで、見たり触れたりしてた「点」の理解が、制度やシステムを仕事で知って、頭の中で「線」で繋がっていくことが楽しくもあります。
一つ一つ積み上げねば。

今夜は、日南市長選の公開討論会があったようです。
(会場に行かれた方で、その様子を教えてくださる方が何名かいらっしゃっいました。)
日南もどうなるか。

とにかく今の私にできることは、地元に少しでも貢献できる人材となれるよう、与えてもらったチャンスを活かして、一つでも多くの経験、勉強をすること。
さあ、また明日から頑張ります。

「役所のイスに座ったまま、誰かに期待していても始まらない。」

厚生労働省前H21.4(←厚生労働省前の風景です。)

昨年秋頃に創設された、『地域に飛び出す公務員ネットワーク』という全国の公務員を結ぶメーリングリスト(ML)に参加しています。
総務省審議官(ものすごく幹部)の椎川さんが発起人となり、作られたネットワークで、以前、宮崎県庁に財政課長で来られていた総務省の方に声をかけてもらい、創設当初から入らせてもらっています。

このMLが、どんなものかということを説明するために、発起人の方とともに世話役をされている重徳さん(総務省)のブログの文章を一部抜粋します。

『地域に飛び出す公務員ネットワーク』とは、・・・

国・地方の公務員を問わず、所属・役職を問わず、とにかく地域社会に元気をするために、“一住民として”地域活動を実践する公務員を結びつけ、①日常的にメーリングリストで情報交換し、②地域イベントがあるときはお互いに駆けつけ、③時々オフ会(飲み会)をやる、ということを続けることによって、豊かな社会をつくっていこう!というものである。
(口コミのネットワークなので、ご関心ある方は私までお問い合わせください。)

このネットワークのメンバーを公務員に限っているのには訳がある。

いま、地方行政の最大の課題の一つは行革・財政再建である。
あらゆる行政サービスのあり方を見直し、効率性を高め、効果の低いものは廃止・縮小する。
そうした議論の中で、NPOや自治会などの地域が実施主体となることを念頭に、“住民ができることは住民自身が行うべき”という理由で、行政が直接サービス提供することをやめてしまうことも多い。

だが、その際に期待されている“NPOや自治会など”って、一体誰が担うのだろう?
行政がほっとけば、“善良なる住民”が勝手にどんどんやってくれるものなのだろうか?

役所のイスに座ったまま、誰かに期待していても始まらない。
公務員だって住民なんだから、一住民として地域づくりに参画したり、NPOを立ち上げたり、率先して地域のために汗を流すべきではないか。

NPO活動の実情や悩みも知らずに「これからは何でもかんでも行政がやる時代じゃない。住民に任せるべきだ」と言っている公務員の方々。
そういう方々にこそ、少しでもいいからぜひNPO活動に携わってもらいたい。
とにかく関心を持ってもらいたい。

(・・・・・・以下、省略。続きを読みたい方はこちらを。↓)
重徳和彦さんのブログ→http://blog.livedoor.jp/shigetoku2/
(ちなみに、この方も、実名や職業など全て公表してブログを書いていらっしゃいます。)

ということで、「地域に飛び出してる公務員」の全国ネットワークであります。
「飛び出している」というのは、人によっては、「出る杭」のように見えたりするのかもしれません。
(私自身は常に自然体ですが、県庁の中で、たまにそのようなことを言われます。(それは、褒められてるのか?牽制されているのか?(笑)))

このMLが、重徳さんが上記のように書かれている趣旨のネットワークだということ、その上で、宮崎県庁で財政課長をされていた総務省キャリアの方が、東京から私に直接電話をくださり、その趣旨に合致する人間ということで「入ってみないか?」と言ってくださったということも、とても嬉しく、参加することにしました。

(まあ、ある意味、私が「出る杭」的に周りに見られていることは分かっているので、その上で、そのような方が声をかけてくださるというのは、変な感じで飛び出しているように見えていなかったのかなと思えまして、ホッとした部分もありました。今までもこれからも地域にどんどん飛び出していく所存ですが、「本業である仕事をそっちのけで自分の好きなことだけを自分勝手にやっている奴」というような、バランスの欠いた人間にはならないようにせねばと常々思っているので。)

上にコピーした重徳さんの文章は、県庁に入った当初から私がずっと思っていたことでしたし、それを頭で考えるだけ、口で言うだけではなく、まずは自分が行動に移さねばという強い思いで今まで突っ走ってきましたので、同じことを考えている人が全国にもいるのだなということは、本当に心強く、嬉しかったです。

最近では、そのML上で、いろんな行政課題の議論が行われていることもあり、非常に刺激なります。
改めて、自分も頑張らねばと思えます。

省庁、都道府県、市町村、消防署の方など、本当に多種多様な公務員の方達が投稿されています。

そんな中、いつも興味深い投稿をされている農水省の方がいらっしゃって、以前から議論は楽しく読ませていただいてましたが、特にそれ以上は気に留めることはことはなかったのですが、東京に来てから、その方の投稿をいつものように読んでみると、なんと、私の弟と同じ課にいらっしゃることに気付きました!
(省庁は(県庁でもですが)、規模が大きいので、同じ農水省だからといって、すぐに知り合いであるとはあまり思いませんでした。)

そして、弟のことをメールに書いて送ってみたところ、とても温かい内容の返事をいただきました。
今回のことは、宮崎みたいな日本の端っこで汗をかいてきたことによって細い糸が繋がるという状況に、なんだか不思議な感じがしました。
一つ一つ目の前のことを頑張っていくことで、いろんな方との縁が生まれていく不思議さ面白さを、宮崎にいる頃から感じています。
(日南の藤沢さんともそうでした。)

なんだかうまく文章をまとめきれませんが、それが今日思ったことでした。
宮崎の公務員の皆さんで、このMLに興味のある方は是非ご連絡ください。
宮崎県庁や宮崎市役所の方で、若い方は、私みたいに東京に省庁派遣で来るかもしれませんので、良いきっかけを掴めるかもしれません。
(もちろん、このMLには、東京だけでなく日本各地のいろんな方がいらっしゃいます。)

ほんとまとまりませんが、今夜はこの辺で。

10年後、ぜってぇ負けねえと思った東京の夜。

今夜は、直属の上司である係長が、「急ぎの仕事は片付いたから帰っても大丈夫よ」と言っていただき、お言葉に甘えて早めに職場を出て、自宅近所のネットカフェで更新してます。
(とは言っても、このくらいの時間ではあります。(苦笑))

東京の桜①
土日であった昨日一昨日の東京は、桜が満開でした。
私が住んでいる市ヶ谷は、とても桜が多いところです。
河川敷や公園、近所の街並み、どこを歩いていても景色がきれいで、東京のど真ん中ですが穏やかな気持ちになれました。

初めての休日であった土曜日は、農林水産省で働いている一番下の弟と会ってきました。
(ちなみに、私は男3人兄弟でして、私が長男、次男は宮崎で救急救命士をしています。農水省にいる弟が三男です。それと、私が東京に来てからのつい数日前、次男夫婦に女の子が産まれました!私も遂に伯父さんです。)

東京の桜②一番下の弟と、久しぶりに、というか大人になってこんなに深い話をしたのは初めてというくらい色んな話をしました。
東京、そして国の中枢で働いている弟は、苦労もたくさんしているようで大変ではあるようですが、兄から見て、数年前の弟とは見違えるほど内面がたくましくなっていると感じられて、非常に嬉しかったし、純粋に私が弟から刺激を受けました。
長時間、2人でいろいろ語ったのですが、心から楽しい時間でした。

昼間に弟と会った後、夕方から画家のコウエイ(小松孝英HP)達と合流。孝英の銀座での個展に足を運びました。
もう私が改めて書くまでもありませんが、宮崎に住む20代の若者が、銀座で単独の個展を開催しているなんてすごいことです。(もちろん絵も売れてます。)詳しくは、上の小松孝英HPをご覧あれ。

その後、宮崎時代から仲良くしている記者の大輔(昨年夏から一足先に東京に転勤となってました)を始め、いろんな分野の若者数人で、街に飲みに出かけました。
半分は今回初めて会った人で、新たな出会いでしたのでそれも楽しかったですが(広島出身の方がいたので、我が地元の日南でキャンプをしている広島カープの試合を見に行くことで盛り上がりました♪)、他の数名は宮崎時代からの友人で、今は東京に居を移して、目の前の仕事に悪戦苦闘しながらも頑張ろうとしているメンバーだったので、かなりキツイ突っ込み合いにもなりましたが(笑)、非常に楽しく熱くなった夜になりました。

六本木ヒルズからH21.4(←六本木ヒルズ「森美術館」からの夜景)

その夜の最後の店では、宮崎時代からの男4人が残りました。
10年後に、みんなそれぞれどうなっているか楽しみだし、またそのときにも変わらず飲み語ろうと言いながら解散しました。
みんなそれぞれ目指そうとしている道は違うけども、だからこそいい刺激をし合えていて、また明日から自分の道で頑張ろうと思えるのだと感じています。

さあ、ぜってぇ負けねぇ。   (←何に?(笑))
そんな青く熱い気持ちになれた東京の夜でした。