「﨑田の思い」カテゴリーアーカイブ

原点。(始めの一歩)

なが○さーん、なが○もさーん、お○たちゃーん、見てますか~!!(゚∀゚)アヒャヒャ
はい。いきなり意味不明でスイマセン。
昨年度まで一緒の職場だったお三方が、しれっとブログを読んでくれてると聞き、嬉しかったので呼びかけてみました(笑)。

昼間、なが○さんとたまたまお会いして少し話をしたのですが、「崎田さんって、マグロですよね。」と言われました。
「ん?」と、どういう意味か分からず聞いてみると、「マグロは、泳ぎ続けないと死んじゃうから(笑)。」とのこと。
うーむ、ある意味そんなところがあるのかもしらんですね。
でも私としては、これがとても自然な状態なんですが(笑)。

昼間の仕事中は、電話もひっきりなしでドタバタしてて、あんまり余裕がなかったのですが、夜になってご機嫌の私です。
今夜してきたことは、昨年から、その関係の人に調べてもらって動いてもらって実現したことなので、前から今夜できるとは分かっていて、でもブログには書かないつもりだったのですが、あまりに楽しかったし嬉しかったし、部屋に帰ってきてもテンション高くて、いてもたってもいられないので、やっぱり書いちゃいます(゚∀゚)アヒャヒャ

元旦のブログに書いた今年の抱負の第一歩をしてきました。
宮崎市内の児童養護施設での学習ボランティア(家庭教師)です。
(ちなみに、クリスマスに行ってきた施設とは別のところです。)

元旦に書いたときには、既に実現することは分かっていて、まあでもそこに「やります!」と書くのもな・・と思ってたし、通い始めても自分の気持ちの問題なので、あえて書かないと思ってたのですが、超楽しくて楽しくて気が変わりました!(笑)
「三角形の合同条件は・・」とか「錯角が等しいから、この直線は平行・・」とかとか、もう最高に楽しかった!!(←これだけ読むと何が楽しいんだ?(笑))
やっぱ俺、子供接してるの好きやなーと改めて実感しました。

問題解かせて、「おっ、この角度求められるんだ。やるじゃん!」とか言いながら答え合わせをしてると、照れて恥ずかしそうに笑う中2男子。かわいいね~。(笑)

もちろんボランティアとはいえ、子供の貴重な時間をもらい関わらせてもらうので、責任持って一生懸命取り組ませてもらいます。

大学生時代にも数年経験させてらってるので、楽しいばかりじゃなく、難しいことが出てくることもあるかもと思ってます。
加えて、数年のブランクもあり、再開したばかりなので、不安もあるし、今後どうなるかまだまだ分かりませんが、とにかく一歩ずつ一歩ずつ。

福岡で大学時代に同じことをしてたときに、いつも心がけていたことは、単に成績上げるとか、高校入試に合格するとかいう事だけじゃなく、一生懸命努力すれば、少なくとも昨日の自分より今日の自分を成長させることができるはずだし、その子供の頑張りを周りの大人が気付いて褒めてあげることで、自信をつけさせてあげたいということです。
(もちろんそれは勉強という部分だけではなく、何事においてもです。)
もちろん、施設にいる子供でも、平均もしくは平均以上の学力を持った子もたくさんいますが、中には、それまで落ち着いた環境で生活できていなかった等の理由で、その子供の学年が持つはずの学力よりずっと低い場合もあり、そんな子供に「家庭教師するぞ!」と言っても、「どうせ今さらやったって高校に合格できんもん」とか「学校の勉強ができたって何の意味があるのか」とか言って反発される事もありました。
でも、高校にはみんなと一緒に行きたいと本音では思ってたりもして、実際そんな子供を受け持ったときには、「勉強を教えに来てるけど、それはなにも100点を取れるようにするために来てるわけではなくて、高校受験という、今後の人生においても絶対同じように出てくるであろう越えなければならない壁を越えるために、逃げずに努力できる人間になって欲しいから一緒に頑張ろうと言ってるのであって、頑張った結果が不合格でもいいじゃない。例えば一桁の点数しか今は取れないけど、それが20点取れるようになったら、それまでの自分より大きく成長できたわけで、そのこと自体ものすごく素晴しいこと。それが周りと比べて低いとか言うのは全く問題じゃない。」と、私なりに思うことを一生懸命自分の言葉で語りかけました。
そのときの女の子は、机に座ってくれるまでに2ヶ月くらいかかりましたが、少しずつ話を聞いてくれるようになり、勉強を頑張れるようになってきてしばらくして、その日は家庭教師ではなく子供達と遊ぶために行った日曜に、小さく折り曲げられたテストの答案を、点数が低いから恥ずかしいのか周りの子供達に気づかれないようにこっそり持ってきて、それまでは一桁しか取れなかったのに、確か30点くらい取れたのを私にだけ見せてくれて、にっこりピースをして、いつもは私の前で滅多に素直にならないその子なので恥ずかしいのか、またすぐに走って逃げていった(笑)ことがあって、そのときは本当に本当に嬉しかったです。

もちろん、ボランティアをする中で、うまくいった事ばかりではなく、対応に失敗したこともたくさんありました。
でもその一つ一つの経験が、今の自分の原点だし、この生の実感に勝るものはないんじゃないかと思ってます。

また、子供は直感で人を見抜く力があるように思うので、正論でうわべだけきれいな言葉を並べても、伝えたい事は心底思った上で伝えないと大事なことは伝わらないし、見透かされてしまう。
なので、何をやるにしてもちゃんとした思いを持って臨まないと、薄っぺらいものになってしまい本物にはなれないと考えるようになりました。それが子供と接する中で学ばせてもらったことです。

・・・遅くなっちゃった。中途半端な気もしますが、オヤスミナサイ。

自分のスタート地点 ~高校同窓会に思う

年も明け、元旦の昨日のブログに今年の抱負について書いたところですが、今日のブログは、昨年12月30日に行った「宮崎第一高校文理科1組同窓会」について書きたいと思います。
卒業してちょうど10年経っての同窓会でした。

「のぐ○さん」、早速のコメントありがとう☆
「一高の星」の名に恥じぬよう頑張ります.。゚+.(・∀・)゚+.゚

とっても楽しい時間でした。
楽しかったついでに、この日参加したクラスメイトを紹介します。

H19文理科同窓会①写真右下に座ってるのが、吉野方小、飫肥中、第一高校とずっと一緒で、今は研究職として日立製作所にいる成くん。
その左が、宮崎第一高校初の東大生で、弁護士になったばかりの剛くん。
そのまた左が、東工大を出て、シャープにいる森。
写真右上の私の左横が、防衛大を出て、自衛隊でパイロットをしている丸くん。
丸くんは、私が大学で福岡にいたときもよく遊びに来てくれた、特に仲のいい友達の一人。ギターで、路上で弾き語りもするさすらいの自衛官です。
そのまた左横が、広島大卒業後、製薬関係の会社にいて、今、宮崎に住んでる貴重なメンバーの一人である調所。
一番左が、エンジニアとして神戸製鋼にいる海老名。

H19文理科同窓会②左手前が、宮崎第一高校初の医学部合格、広島大学医学部を出て、現在、研修医をしている樋口。
樋口とは、高校2年のとき、寮で同部屋でした。悪友です。
クラスのみんなから、「樋口だけには診てもらいたくない」と言われる愛すべき樋口くんです(笑)。
その右横が、長崎に嫁いだ人妻1号の蓑輪さん。
火を噴いたりはしません(←同級生にしか分からんね(笑))
真ん中にいる私の右横が、鹿児島で高校の先生をしている、多江さん。
一番右が、都城の文房具屋さんで、婿を取って今でも名字が変わらない人妻2号の野口さん。
実は、入学して野口さんを最初に見たときに、てげかわいいと思ってました(☆゚∀゚)

H19文理科同窓会③異国の人ではありません(笑)。
みんながいつも消息を心配している大脇です。
うちのクラスから九大に行ったのは、私と、この大脇だけだったので、大学生時代は、みんなによく消息を聞かれてました。
卒業を危ぶまれていた大脇ですが、8年かけて学部を卒業し、今は博士課程の1年生。隕石の研究をしているとのことです。
みんな応援してるぞ、頑張れ!大脇!!

H19文理科同窓会④一番左が、我ら文理科1組、別名「新原組」組長である新原先生です。
3年間、ずっと担任として受け持っていただきました。
新原先生の数学での愛のシゴキ(笑)のお陰で、九大に行けたと言っても過言ではありません。

右は、こないだまで雲海酒造に勤務、今は岡山に嫁いだ人妻3号の安祐美さん。

H19文理科同窓会⑤手前は、2度目の登場の海老名。
私の前に写ってる2人は、人妻4号5号の左から圭ちゃんと西田。
圭ちゃんは、看護士を最近までしていて、今、新婚さんです。
西田は、シャープで働くクラスメイトの森と結婚しました☆
今は、森と奈良に在住。
新原先生の厳しい監視下の中、その目を盗み、高校生時代から愛を育み、一昨年見事ゴールイン。

H19文理科同窓会⑥左は、再び登場の丸くん。
真ん中手前が、クボタ住宅勤務の今さん。
真ん中後ろが、飫肥中テニス部から一緒で、今は宮崎日日新聞勤務の広前。

H19文理科同窓会⑦一番左でグラスを持ってるのが、トヨタで営業しているまゆみさん。3次会ではしゃぎすぎ(大暴れ(笑))でした。

H19文理科同窓会⑧右が、長崎で看護士をしてる、勝代さん。
・・・この、かつよ氏から「太ったね」との言葉が(汗)。
「痩せてた高校生の頃は、結構かっこいいと思ってたけどねー。まあ、全く私の好みじゃなかったけど。」とのこと。(爆)
左が、今回、幹事として一番頑張ってくれた、みんなのアイドル理都子氏(りっつん)。
一応、私と共同幹事でしたが、みんなと連絡を取り合うべき9月10月11月に私が全然動けずでダメダメでした・・。
りっつんのお陰で全国に散らばった同級生を集めることができました。
2次会の締めの言葉で、頑張ったりっつんから感動の涙が。゚(゚´Д`゚)゜。 お疲れさまでした。

H19文理科同窓会⑨今回の出席者全員での集合写真です。

私がいた頃の宮崎第一高校は、進学クラスを立ち上げたばかりの頃で、そのコースにいる生徒の数自体が少なかったため、文系理系関係なく一つのクラスでした。
(今の第一高校文理科は、5クラスくらいあるらしいですが。)
なので、上記の通り、クラスメイトはそれぞれ色んな分野に進んでます。
そういう意味で、社会人となった今、様々な分野にいる仲間がいて、とっても刺激を受けるし、本当にありがたいことやなと思います。

この集合写真を撮った後に、新原先生に締めの言葉をもらったのですが、その最後に、「恭平が宮崎でいろいろ頑張ってるから、みんなで支えてやってくれ。第一高校も恭平を応援するぞ」との話がありました。本当にありがたい言葉です。
もちろん、既にクラスのみんなから、今もたくさん助けてもらっています。
そして、クラスの一人一人それぞれもきっと同じで、みんなに助けられている部分があると思います。

上のクラスメイトの紹介を読むと、みんなすごく順調な感じがしますが、実際はいろんな事を抱えているところもあると思うし、長い人生において、いい時期だけばかりではなく悪い時期がきっとあるはず。
多感な時期に、一つの目標に向かって頑張る中で、一緒に過ごしたこの仲間は、私にとっても、クラスのみんなそれぞれにとっても『原点』。
もちろん、高いところを目指して切磋琢磨しあうのも大事と思いますが、ここは、つらいとき、くじけそうなときにも本音を話せて、素でいられる場所でありたいなと思っています。
ほとんどのクラスメイトが県外に行ってしまっていますが、「宮崎に帰れば恭平がいて、みんなを集めてくれる」という風に、みんながほっとできる場所をこれまで以上に作っていければいいなと、今回改めて思いました。

・・・俺がくじけたときには、みんなよろしくね。骨を拾ってください(笑)。

今年の抱負。

明けましておめでとうございます。
旧年中は、大変お世話になりました。
本年も、このブログと崎田恭平をよろしくお願いいたします。

昨年2月に、「みやざきみらいフォーラム」を身近に感じてもらうため、運営していく中での思いや裏話を、スタッフ持ち回りで、ブログという形で発信していこうと始めたこのブログ。
当初は、月にほんの数回の更新でしたが、このブログの内容について反響があったり、ブログを通して人との新たな出会いが生まれたりしたことが楽しくなり、夏くらいから毎日更新を目標に、ここまで書いてきました。
そして今となっては、当初の目的から外れ(他のスタッフの書き込みが無かったのもあり(笑))、完全に私の個人ブログと化してしまった次第です。

そういう経緯で始まったブログですので、ここで県の政策や県庁での仕事について思うことなどを具体的に書くつもりは、当初からさらさらありません。

「みやざきみらいフォーラム」を始め、地域活動に汗をかいている宮崎の一若者が、そこから見えるもの、それを通して感じる思いを素直に書いていこうと思っています。
ただ、私が県庁マンであることには間違いないわけで、政策や仕事についての具体的な言及はしませんが、単純に一若者という部分だけでなく、県庁マンである私から見える風景だったり、思いという部分については書いていきたいとも思っています。
なので、若い県庁マンが、普段どんなことを考えているのかという視点でも読んでいただけると幸いです。
(まあでも、私が標準的な県庁マンかどうかは我ながら疑問ですが(笑)。)

それでは、今日の本題である今年の抱負について書きたいと思います。
今年の抱負は、『原点に帰る』です。

私は、大学生時代、児童養護施設にボランティアとして通ったことをきっかけに、行政の道を選びました。
ここ数年、自分なりにいろんな経験をしてきた今、その部分をもう一度しっかり考えていきたいと思っていて、具体的には、児童養護の分野を肌で感じられる環境に、自分を持っていきたいなと思っています。

児童相談所に行きたいという自分の希望に反し、県庁での最初の配属が地域振興課だったことを一つのきっかけとして、今のような地域活動を始めるようになりました。
ある意味、大学生時代は児童養護関係しか頭に無かったので、別の仕事の経験をさせてもらったことにより、視野を広げさせてもらえ、長い目で見れば、私自身にとってとても良かったと、今は思っています。
そして今では、児童養護ばかりではなく、もっといろんな分野からも、この宮崎に関われていけたらと思うようになっています。

とは言っても、だからこそ、「原点」を大事にしたいなと思っている今です。

大学生の頃、理系の学部にいた私にとって、法律や経済の科目で受験しなければならない県庁の一般行政職を目指す事に、自分自身、非常に不安がありました。
工学部の私が、法学部や経済学部などの文系の連中に勝てるのだろうかと。

卒業研究のため、平日は朝9時から夜も9時過ぎまで研究室にこもらねばならぬ毎日で、3月になっても十分には公務員試験のための勉強時間を確保できなかったのですが、それでも毎週日曜日の児童養護施設でのボランティアは、受験直前までずっと続けました。
そのまま理系でいれば、そんなに苦労せずともそれなりの企業に就職できるのに、自分が何のために誰のためにリスクを冒して、一般行政職で県庁を目指すのかというのを、しっかり感じていたいと思っていたからです。
日曜日に、子供たちと一日どっぷり遊んだり、勉強を教えたりする事で、月曜から始まる1週間を迎えるにあたり、改めてしっかり頑張って勉強するぞと心から思えました。
(実際、金曜、土曜になると、子供と遊びたくてうずうずしてました(笑)。なので、もちろん、いい気分転換にもなってました。)

成績がなかなか合格ラインまで上がらないどころか、全科目ゼロから始めなければならない試験範囲を、一通りやり終える事にすら苦労していて、直前は発狂しそうなところまで追い込まれましたが(笑)、そんなしんどいときには、子供たちのことを思い出すようにしていました。
そして、将来自分がその分野について取り組むためには、まずは自分がしっかりとした社会人とならねば、ここをしっかり踏ん張らねばと思えて、必死で頑張れました。

私が行政を目指した原点である、「どんな境遇で生まれてきたとしても、子供たちが同じスタートラインに立てる社会づくり」をするという思いを、いろんな事をやりつつある今だからこそ、しっかり大事にしていきたいと思ってます。

それと、もう一つの『原点』、我が故郷「日南」についてです。
今は、アパートのある宮崎市や、職場のある西都市での活動が多いのですが、やっぱり想ってしまう我が故郷「日南」。
今年は、なんとか日南と、もっと繋がれることをしていきたいなと思っています。
(藤沢さん、いろいろ御相談させてください!)

またまた長くなってしまいましたが、今年もそんな感じで頑張りたいと思っております。
このブログに、これからもいろんな思いや悩みなど、素直に正直に書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします.。゚+.(・∀・)゚+.゚

道は違えど。

仕事と忘年会で、睡眠不足の年末です。

「小松孝英」忘年会H19①
28日は、画家の小松孝英くん(以下、孝英)主催の忘年会でした。
彼は、神戸や福岡などでも個展を何度もやっていて、今年はニューヨークのチェルシー地区でも個展を行いました。
私と同い年の彼は、この若さで絵だけで食べれてます。
そのことだけとってみても凄い男です。

(今回の忘年会会場は、いつもいつもお世話になっている「居酒屋『照』」貸し切りで行いました。隼人先輩、宮野さん、ありがとうございました。)

「小松孝英」忘年会H19②(←写真中央ちょこっと左側の赤い服を着ているのが孝英。同じく中央で、孝英の右隣に写ってるのが私。)

孝英の凄いところの一つは、たくさん人を惹きつけるだけの、人としての魅力を持っているところです。
忘年会に来られていた方の職業をいくつか挙げてみても、デザイナー、不動産会社、イラストレーター、額縁職人、映画監督、呉服屋、マスコミ、小学校の先生、製薬会社、作業療法士、デパート店員・・・などなど、幅広すぎです(笑)。

孝英と初めて出会ったのは2年前の冬の終わり。確か、2月頃かな。
孝英の福岡での個展打ち上げパーティーが、宮崎市内にある「グリーンルーム」で行われたときです。
今は横浜にいて、当時「みやざきみらいフォーラム」を一緒にやってた同い年の平原くんから、「小松君という、おもしろい奴がいるよ」と、そのパーティーに誘われて行ってみたのがきっかけです。
平原くん曰く、「小松君の会に来る人たちは、カメラマンやデザイナーなど、みんなアーティストばかり。俺らと同年代で、自分の能力だけを武器に頑張っている人たちと話してみると刺激になるよ。」とのこと。
当時の私は、みらいフォーラムに行き始めたばかりの頃、もちろん代表をする前の頃で、「まつりえれこっちゃみやざき」を本格的に始める前でもあり、異業種の皆さんと今ほどお付き合いしてない頃だったので、店まで歩きながら「そんな人達と馴染めるはずもないので、やっぱり帰ろうかな・・」とか思いつつも、びくびくしてグリーンルームの扉を一人で開けたのを今でもはっきり覚えています(笑)。

今でこそ、孝英の会は色んな業種の人たちがいますが、当時の出席者は、9割方アーティスト。
その日のパーティーで、そっち関係じゃない人は、平原君と、参議院議員になるずっと前の外山斎さん、その頃はまだ「彼女」で保母さんだった今の奥さんの千草さんだけ。(斎さん、千草さんとも、その日が初めての出会いでした。)
平原君が紹介するデザイン関係やWEB関係などなどの皆さまと名刺交換したのですが、「なんで公務員が来てるの?」という心の声が聞こえてきそうな空気を感じて(私が思い込んで勝手にそう感じてただけかもしれませんが(汗))、結構、いやかなりその場は苦しかったです(苦笑)。
そんな私の空気を感じてか、斎さんが色々話しかけてくれ、政治家を志す方と県庁マンということで、アーティストばかりのその場においては、遥かに近い世界にいる斎さんと千草さんと後半はずっと話してました。

孝英とも少し話したのですが、「俺はいつか必ず世界的なアーティストになる男だから」と軽く言ってのける。
う~ん、こんな奴がいるのかと、平原君の言うとおり、かなりカルチャーショックを受けました。
でも、絵を見て、素人なので専門的なことは全然分からないけど、圧倒的な存在感を感じさせられた。
素直に口だけじゃないなと思いました。

パーティーがお開きになるときに、出口で一人一人出席者を見送ってた孝英から「何ヶ月かおきに大きいパーティーをやってるから、直接は連絡できないけど、まあ情報が入れば、また来てもいいよ。」とのこと。
かなり上からの発言ですが(笑)、孝英にしてみれば、広いグリーンルームを貸し切っても座りきれないくらいの人が来るパーティーで、しかも、一人一人に招待状を送ってるとかじゃなく、孝英に近い友達数人に声をかけるだけで広がってそれだけの人がいつも集まってて、細かく把握していくのは無理だということでした。
帰り際、斎さんから、「次あるときは、僕が声をかけるよ」と言ってくれ、その日は、斎さんとだけ携帯番号を交換して帰りました。(孝英は、交換してくれなかった(笑)。)

最初に紹介してくれた平原君は、それからすぐに横浜に就職することになり、宮崎を離れました。
なので、もう声がかかることは無いかもなと思ってましたが、数ヶ月して、斎さんからの連絡で、カメラマンの酒生さんの個展打ち上げパーティーに行き、それからもそのような飲み会に何度か行くうちに、次第に孝英や酒生兄貴、斎さんたちと仲良くなっていきました。

最初の頃は、いつも孝英から、「俺たちの税金で食ってる県庁マン」と言われてましたねー。(いや、今でもか(笑)。)

孝英や酒生兄貴と話してると、自分の夢に向かって、将来なりたい自分をしっかりイメージして頑張ってるのが感じられて、ものすごく刺激を受けます。
(それは、進む道は違いますが、斎さんもそうです。)
特に最初のほうは、決して居心地のいい場所では無かったですが(笑)、それでもその場に足が向かってたのは、自分のように組織の中で仕事をしている人間からすると対極ともいえる場所で、自分一人だけの力を信じて、夢を追ってる同世代が近くにいることに刺激を受けたし、俺もぜってぇ負けてられないと思わせてくれたからだと思います。(←超、負けず嫌い(笑))
その場に行くことで、自分は何がしたくて今県庁にいるのかなど、初心を再確認することができました。

また、孝英の会に行く中で、全く違う職業、違う価値観の人たちと、お付き合いする事の面白さも感じるようになってました。
普通に県庁だけの人間関係だけでは付き合うことも無かっただろうと思われる人たちから、「公務員」や「県庁」というものが、本音の部分でどんな風に見えてるのかということを感じれて新鮮でした。
そして、厳しい意見も含め、みんなが行政に対して思ってることを言ってくるのに対し、私は私になりに、行政はこういう思いで仕事をしているんだという事を一生懸命話すと、それなりに分かってくれ、実際に直接顔を合わせてお付き合いすることの大切さを実感することができました。

今となっては、孝英とは毎日ように会ってますね。
最初は直接私に連絡する気もなかった孝英ですが(←根に持ってる(笑))、今回の忘年会も、お互いが空いている日から日程設定してくれました。

道は違えど、よきライバルだし、よき理解者です。
孝英に負けないくらい世界的な・・・いやいや(笑)、いつの日か、宮崎に「崎田恭平」ありというくらいの仕事ができるよう頑張ります。
私は私の道で、この宮崎というフィールドで、しっかり地に足をつけて、一つ一つ積み上げていきたいと思います。

アトリエ忘年会
昨夜(29日の夜)は、孝英とアメリカ人のジェームスのアトリエ「Monarchs(モナーク)」で、酒生兄貴たちなど少人数で、ミニ忘年会をしました。
鴨鍋おいしかった.。゚+.(・∀・)゚+.゚
(写真は、食事後、ジェームスに教えてもらったアメリカでポピュラーなトランプゲームをしているところ。)

28日の忘年会二次会で、来年開催予定の「西米良芸術祭(仮)」を孝英と一緒に主催されるデザイナーの方から、この芸術祭にかける熱い思いを伺うことができました。
(私のブログを読んでいただいているということで、大変光栄であります。.。゚+.(・∀・)゚+.゚ 既に第一線で活躍されているデザイナーの方です!)

私も「西米良芸術祭」の手伝いをさせてもらう予定です。
来年は、西米良が熱くなりますよ!!゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆

崎田恭平

サンタになったクリスマス.。゚+.(・∀・)゚+.゚

24日は、宮崎市高岡町にある児童養護施設で行われた「クリスマス会」に参加してきました。
県庁内に「クイック会」というグループがあり、そのメンバーで毎年訪問させていただいています。

この児童養護施設でのクリスマス会に参加するのは、私は今年で3回目。
初めて行ったのが、入庁した年の平成16年です。
今年は、これまでグループの取りまとめをしていた方が宮崎市外に転勤になり、訪問する事さえ危ぶまれていたのですが、少し前に私にその役割をしないかとの話があり、今回初めて幹事をさせてもらいました。

例年、掲示板で県庁職員にカンパを募り、そのお金でプレゼントを買い、子供たちに手渡します。
なので、先日のブログにも書きましたが、21日の夜にプレゼントを買いに行ってきました。
施設にいる子供の数は60人以上、年齢は3歳くらいから18歳まで。
年代ごと、男女ごとに好みも違うので、選ぶのもちょっとした作業です。
県庁職員に呼びかけを行い、7,8名で手分けして選んで買ってきました。
(清武町役場職員で、Mfnet事務局長の松木さんにも手伝ってもらいました。ありがとうございました。)

さくら学園クリスマス会H19①←今回のブログのタイトル通り、サンタの格好をしているのは私です。

クリスマス会は9時半にスタートし、幼児さんから、小学生、中高生という順に、ダンスや歌の出し物がありました。
子供たちの出し物は、みんなかわいくて、とっても良かったです(′∀`)

その後、施設の先生方の出し物等があり、いよいよ最後が、我々「県庁クイック会」の出番。
観光・リゾート課のカリスマ県庁ガイドで、Mfnet代表でもある松木さんの司会でスタート。
さすがは、県庁入庁前に吉本興業で2年も芸人をされていただけあり、すぐに子供たちの心をがっちりキャッチ。
続いて、Hさんの工夫を凝らした出し物で、より一層盛り上がったところで、毎年恒例になりましたサックスの演奏!
Nさんをはじめとした4名の方の演奏は、今年もとっても良かったです!!
私が今回のクリスマス会前に、施設の先生と打ち合わせをする中でも、子供たちはこのサックスの演奏を楽しみにしているとの事でした。

最高に盛り上がったところで、最後に、ビンゴゲームとジャンケンゲームをしました。
ゲームで勝った子供から、プレゼントを渡していきます。
もちろん、負けた子供たちにもプレゼントを最後に渡しました。

クリスマス会の全てが終わった後に、施設の先生から、子供たちと一緒に記念写真を撮りましょうと言われました。
ここ数年、毎年参加させてもらっているのですが、写真を撮りましょうと言っていただいたのは今回が初めてでした。施設側にしっかり受け入れていただいているように感じれて、ちょっと前のブログで書いたようなことを思っている私は、とても嬉しかったです。
サンタの格好をしている私には、幼児さんたちがわんさか集まってきて大人気でした(笑)。
帰るときも、子供たちみんなが見送ってくれて、行ったこちら側が幸せな気持ちをもらえた時間でした。

最後に、地域活性化塾どんげネット、Mfnetをはじめ、いろんな場面で動いてくれる(私に振り回されている)、新規職員の三浦。
プレゼント選びや、プレゼント運び、当日のカメラ係など、地味な仕事が多かったけど、今回もよく頑張ったぞ。

さくら学園クリスマス会H19②←最後に、若い女の子を両手にはべらしてる「ちょい悪オヤジ」ならぬ『ちょい悪サンタ』。(笑)

この2人も、三浦と同じく新規で入ったばかりの県庁職員で、左から大竹、日高。
「地域活性化塾どんげネット」でも頑張ってくれている2人です。
2人とも超いい笑顔やね~(笑)。

県庁の若い後輩たちにも支えられて、やっと立ってる私です。

崎田恭平