「﨑田の思い」カテゴリーアーカイブ

ボランティア考

15日(土)の昼間は、財団法人さわやか福祉財団主催の「幸福づくり考 in宮崎」に行ってきました。
第1部で行われたパネルディスカッションで感じたことを書きます。
NPO法人きよたけ郷ハートム理事長の初鹿野さんが、パネラーとして参加されていました。

初鹿野さんの言葉で、特に心に残った言葉を書きます。
・NPOで取り組んできていることは、「良い地域にするためにみんなで頑張りましょう」と漠然と言ってるのでなくて、具体的な形で、その方策を提示していくことをしている。
・「プロの住民」になること。
・地域を良くするための特効薬は無い。特効薬を探すのは止めたがいい。本当に良い地域を作っていくためには時間がかかるし、かけなければならない必要な時間がある。
・地域におけるコーディネーターが、これから必要になってくる。

今回、元NHK解説委員の村田幸子さんが、パネルディスカッションのコーディネーターを務められていました。
村田さんから初鹿野さんへの「住民に取り組みを浸透させていくのは、なかなか難しいのではないか」「NPOはうさんくさいと思われてたりする部分もまだまだあるのでは」との問いに、それぞれ「伝わらないのは、伝え方が足りないから」「NPO側にまだまだの部分がある。我々が変わらなければならない」との言葉がありました。

結構厳しい村田さんからの問いでしたが、その回答一つ一つを聞いて、やっぱ初鹿野さんは凄いなと改めて思いました。
人に理由を求めない。「相手に伝わらないのは、自分の伝え方が足りない」と。
普通は、「一生懸命こっちはやっているのに、なんで相手には伝わらないのだろう・・」と思いがちだと思います。
まずは、自分が動き出すこと。俺も頑張るぞ。

また、医師である他のパネラーの方から、「ボランティアは、独りよがりになりがちで、人のためといいながら自分が気持ち良くなるためにやっている場合がある。時にそれは奇異に見えることも。」とありました。
…ごもっともだと思います(苦笑)。
私も、なんだかんだで「ボランティア」と呼ばれるものをしていることが多いので、独りよがりに陥りがちだというのはよく理解できます。
大体、ボランティアとかNPOとかをはまって活動している人は、頭のネジが一つ取れている感じの人が多いと思う・・。(いい意味でですよ(笑))
(もちろん、NPOとかの批判じゃないですよ!自分もそっち側の部分があるというか、間違いなく私こそいくつもネジが取れてるタイプなので・・(笑)。誤解の無きよう。)

大学生時代に、児童養護施設にボランティアに行くサークルに入っていたのですが、「社会貢献をしたいから来ました」なんて高尚な事を言ってる新入生に限って、子供たちの集中攻撃(もちろん子供に悪気は無い)を受けて、へこんで二度と来ない場合が多い。
ボランティアを続けていくには、子供接すること自体が好きであるといった、自分自身も楽しめる所がないと、続けられない部分があるとは思います。

が、しかし、施設の子供側も「毎週日曜日に、君たちと遊ぶためにボランティアに行くのでよろしくね☆」とかいきなり言われても、子供にしてみりゃはた迷惑な話・・。
子供だけで遊びたかったり、一人でマンガ読みたい子供いるだろうし。

毎週日曜日に施設に通う中で、自分で心がけていたのは、相手(子供)にとって必要とされるものを、どう提供していくかということ。
施設側にとって、子供にとって、必要とされる存在になれるように、特に始めのうちは、KYにならないよう空気を読むよう頑張ってました。
そして、時間をかけて関係を作っていきました。

実際、それがうまくできない新入生は、せっかくボランティアをするぞと張り切ってたのに、子供から「・・何しに来てるの?」なんて冷たい言葉を浴びせらたり、逆に頑張って飛び込んでみたら「ウザイ」とか言われちゃったりして、へこんじゃう・・。

「ボランティア」は、そういう意味でとても難しい部分があります。
「続けていくための自分にとっての楽しい部分」と、「善意の押し売りにならぬよう、相手にとって真に必要なものをどう提供していくか」という事のバランスがうまく取れないと、ボランティア受ける側にとっても、する側にとっても良くない。続いていかない。
相手と幸せを分かち合えるようにできるといいんですけど、常に意識して改善していかないと難しい。

今回のパネルディスカッションの中で、「『助けて』って言う側の勇気を、助ける側がどれだけ理解してあげられるか」との言葉がありました。
深いです。

初鹿野さんの言葉で、「『助ける側』の人が、常日頃『助けられ上手』になることの重要性」、「『お互いさま』というフラットな関係」というのもありました。
これもまた深いです。

仲間。

東国原知事らの講演会があった日の夜、友達の孝英と電話で話をしていたら、話が長くなりそうだから会って話そうかということになり、夜23時頃からファミレスで2人で話し始めました。
そうしてファミレスにいる間、電話がかかってきたり、かけたりするうちに、呼べる奴は呼ぼうかということになり、いつの間にか5人に。
いつも仕事が忙しい面々で、会って話をするのはいつも夜中のこんな時間。
今回も、5人が揃ったのは深夜1時前でした。
県庁マンに、画家に、カメラマンに、政治家とその奥さん。
なんだか、高校生時代に寮で友達と夜中まで将来のことを話してたり、大学生時代にやっぱり深夜のファミレスで、就職のことや恋愛のことなどを話してたときと、今もあんま変わんない感覚だな。
もう30歳もそんなに遠くなくなってきてるのに、いまだに将来のことについて熱く語ってる。
そこに集うみんなは、それぞれの分野の最前線で一生懸命がんばっていて、道は違えど、その辺が共通するからワイワイ盛り上がれるんだと思います。
早く帰らないと、明日の仕事がつらくなる・・とか思いながらも楽しいから帰りたくない・・・という気持ち。
こんな友達(仲間)ができてるというのは、幸せなことだなって思います。
そこにいるみんなはキラキラしてて、自分も負けないように頑張らなきゃって改めて思う。
自分が刺激を与えられるくらいになってやるぞ.。゚+.(・∀・)゚+.゚
この日は、朝方3時前に解散することに。
残りわずかな20代。悔いの無いように毎日しっかり歩いていくぞ。

崎田恭平

消防団は楽しいよ.。゚+.(・∀・)゚+.゚ ~消防団宿泊忘年会に思う

消防団ゴルフ忘年会19③12/1~2は、私が所属している宮崎市消防団赤江10部の宿泊忘年会がありました。
1日(土)は、新富町の座論梅で、ゴルフをしました。
(←我が消防団の皆さんと)

「・・崎田ってゴルフしてたの?」お思いのあなた、お見込みどおり、確かにゴルフしているとは言えないレベルです・・。
普段はまず練習なんてしてません。
(その時間を確保できないというほうが正しいかも・・(汗))
今持ってるゴルフのクラブは、入庁して初めての職場の課長から、買い換えて使わなくなったものをいただきました。最初の何回かだけ打ちっぱなしの練習場行ったきり練習もせず、年に数回だけ、お付き合いでする程度です。

消防団ゴルフ忘年会19②
しかし、ゴルフにたまに行くのは好きですよ。はい。
宮崎の自然と気候の良さを改めて実感します。
こんなコースで一日楽しく過ごすというのはなかなかいいものです。
(スコアは置いといて(笑))。
ゴルフの結果は、いつも通りで実力通り大した成績じゃないのですが、今回は奇跡のニアピン賞が取れて大満足.。゚+.(・∀・)゚+.゚

消防団ゴルフ忘年会19①(←部長の井本さんと)

今回、私は初めてキャディーさん付きで回ったのですが、終わりにさしかかった頃に、キャディーさんから「仲の良い職場なんですね」とのこと。
年齢も50代から20代まで、職業もバラバラなんですが、とってもいつも楽しく消防団活動させてもらってます。

今回、一緒に回ってくださったキャディーさんが非常にいい感じの方で、楽しく回れました。
県外から宮崎に、観光旅行でゴルフをしに来る人もいる中で、こんなキャディーさんが付いてくださると、また「宮崎に行こう」と思ってくれるのじゃないかと思いました。
これも観光宮崎にとっては、県民総力戦の一つかなと。

自分の目の前の仕事を、一生懸命笑顔で頑張るだけでも、地域に良い連鎖を生まれさせる第一歩なんじゃないかと思わせてもらいました。
私も明日からもガンバロウ!

消防団忘年会19①
続きまして夜の部。
日向市美々津の旅館で、おいしい魚を食べながらの忘年会。
とっても楽しい時間でした.。゚+.(・∀・)゚+.゚

宴会は夜中まで続き、いつものように楽しく団員の先輩方と話をする中で、重鎮の先輩と、新団員がなかなか入ってこないという話題になりました。
これは、日本全国、多くの消防団が抱えている悩みだと思います。
私が3年前に入ったときに、同期入団の方が、もうお孫さんがいらっしゃる方でした。(もちろんお若いですが!)
裏を返せば、それだけ若い人が入ってこないということです。

消防団忘年会19②(←我が消防団赤江10部の貴重な3人の20代団員です!)

その先輩から「行政や区長、小中学校のPTAとかも意識を変えてもらわないと・・」との話がありました。
確かに、行政などの呼びかけもあればいいと思いますが、他の人頼みだけでは現状は変わらない。
(この話題で、その先輩と大激論を繰り広げました。その先輩に生意気なことも少し言ってしまいました。それでも議論として聞いてくださる、うちの先輩方には感謝しています.。゚+.(・∀・)゚+.゚)

少なくとも、今の自分にできる事をまずしなきゃと思ってます。
まず自分が動かねば。
私は、その一歩として、まず自分が消防団に入りました。
消防団はたいへんなこともありますが、人生の先輩方から、消防のことはもちろんのこと、仕事や家庭、子育て、趣味の事などいろんな話が聞け、人生勉強をさせてもらえる場です。
入ってしまえば、意外と楽しい場所です゚・*:.。..。.:*・゜゚・*
それを回りに伝えていければ、少しでも団員が増えれば・・・と思っています。

消防団忘年会19③
(←朝食後に、朝日が登る美々津の海を眺めるボク。(←なにポーズ取ってんだ!(笑))

「まず自分ができることから始めること。」
まちづくりをする中で、住みよい地域を作ろうとする中で、このことが全てだと私は思ってます。
簡単なようで難しいことです。
もちろん、自分もまだまだできていない事がたくさんです。
しかし、自分が置かれている状況に言い訳せず、できない理由を並べることなく、まずは自分から動き出せる自分になりたいと思ってます。

消防団忘年会19④
(←朝の出発前に全員集合!)

皆さんも消防団に入りませんか?
これがなかなかどうして楽しいところですよ.。゚+.(・∀・)゚+.゚

故郷に対する「思い」、「思い」を持って自分の道を進むこと ~M.M.T.P.ライブ inウェザーキング

西都での稲刈りが終わったあと、宮崎に戻り、宮崎県SSグループ連絡会議宮崎支部が主催するイベントに行ってきました。

私のいとこが、宮崎市大塚でプリン工房イーナを経営しており、SSグループに所属している関係で、私に誘いがありました。
(いとこの森山忍くんが作ってる宮崎産にこだわったプリンは、最高においしいです.。゚+.(・∀・)゚+.゚東京や大阪の高島屋などでの物産展でも大人気!是非食べてみてください!!)

宮崎県SSグループとは、「若手商工家により企業や地域経済に貢献する団体(イベントチラシ抜粋)」とのこと。
「SS(Study by Synectics)運動」とは、『SS運動は昭和42年、宮崎県の提唱により始められた運動で、商工青年事業者の小集団による学習活動を通して、企業の繁栄と地域経済の振興を目指す「自主参加、自主運営」の人づくり運動です。(HP抜粋)』のようです。
まあ簡単に言うと、「若手経営者の団体」ですね。

M.M.T.P.のライブが今回のメインイベントだったのですが、その前に、「M.M.T.Pと宮崎を熱く語る」という、M.M.T.P.メンバーと政治家とSSメンバーとの座談会があり、それに参加させてもらいました。
政治家で今回来られてたのは、参議院議員の松下新平さんと、県議会議員で「愛みやざき」代表の松田勝則さん。

松下さんとは、今回初めてお話させていただきました。県庁職員から、県議、国会議員となられている新平さん。偶然ですが、新平さんが県庁マン時代に担当してた仕事と同じ仕事を、私は今担当してます。

M.M.T.P①
←紋付袴で登場の松田さんと。
私は、飾らない性格で、温かい人柄の松田さんが大好きです。
とっても気さくで、人をグッと引きつける魅力を持った方です。
(久しぶりにお会いした松田さんから、「ブログに書いてたお父ちゃんとお母ちゃんの言葉に泣けたよ」みたいな事を言われました。私が以前ブログで、大学を東京か福岡で悩んだときに両親が言ってくれた事について書いたのを読んでくださったみたいです。・・・県議会議員も読んでるこのブログ。とっても恐縮です(笑)。)
松田さんのブログが最近更新されてないのがとっても寂しいです・・。宮崎弁丸出しのブログ、松田さんの魅力がたくさん詰まってて大好きです。更新楽しみにしてま~す。

座談会では、参加されていた皆さんから宮崎に対する熱い思いを伺うことができました。
「M.M.T.P.」とは、「(M)宮崎に生まれ、(M)宮崎で育ち、(T)東京に暮らす、(P)プロミュージシャン達」の略とのこと。
バンド結成に至るまでのお話を伺って、故郷宮崎に対する熱い思いが、ひしひしと伝わってきました。
宮崎県内でなにかあるときは、役に立てるのならばどこでも行きたいとの事でした。

また、SSの方からの「上京し、ミュージシャンで食べていこうとする中で、田舎の宮崎出身ということで苦労されたこと、努力されたことは何でしたか?」という質問に、『スピードに対する対応』というのが上がってました。
東京は、音楽の世界でも中心であり、外国の本物のアーティストに触れる機会などがたくさんあることもあるのか、そこで生まれ育った人たちは、仕事をする中での音に対する対応が非常に早く、若い頃は非常に苦労したとのことでした。
しかし、音楽に対する強い思いで、愚直に取り組むことでなんとか喰らいついていったと話されてました。
田舎者は、意外とその辺の足腰が強いとのこと。やはり、一番大切なのは『思いの強さ』だと話されていました。

そのほか、FM宮崎「耳が恋した!」でおなじみの濱田詩朗さんからの、宮崎から音楽を発信し、宮崎に住んでいてもできるんだという思いで頑張られているというお話や、ゆずや河口恭吾のドラムをされている川越さんからの、沖縄のHYやMONGOL800のように宮崎発のミュージシャンを育てたいというお話に、聞いているこっちが熱くなりました

友達の、画家の孝英や、カメラマンの酒生兄貴たちと、いつも話している事と同じ思いだなと感じました。
一生懸命いい仕事をして頑張っていれば、どこにいても関係ない、宮崎でも夢は叶えられる。それを証明する為に、今、自分たちは切磋琢磨して頑張ってる。
それぞれ道は違えど、壁にぶつかったり、挫折しかけて悩んだりする過程は一緒で、お互いが刺激しあって夢を語り合えるから、およそ仲良くなることなんてなさそうな公務員とアーティストだけど一緒にワイワイやれる。
やっぱり大切なのは「思い」だなと、改めて強く感じた時間でした。

それと、M.M.T.P.のメンバーの方から、「宮崎に住んでる人たちの実感として、東国原知事ブームで経済が良くなったなど、具体的に何か変わったことがあるか?」という質問がありました。
いとこの忍くんから、「県外での物産展をしていて感じるのは、今は宮崎というだけで高い注目がある。業者によっては、何でも売れるものは売れるときに売ってしまおうという所もあるが、一時的に売れても宮崎産は大した事ないと消費者に思われてしまうと、長い目で見ればかえって逆効果であり、注目を浴びている今だからこそ、本物の良いものを消費者に届けることが大切だという思いで頑張っている」という話や、税理士の方からの「東国原ブームで、一部良くなっているところもあるが、これが多くの業種に波及しているとは言えず、相変わらず地方の宮崎経済は疲弊している。私は税理士という、中小企業さんたちの手助けをする仕事を通して、宮崎に少しでも貢献したいと思っている」といった、若手経営者の皆さんの熱い思いにも感銘を受けました

M.M.T.P②
座談会が終わったあと、ライブが始まりました!
(←ライブ中の写真は撮りませんでした。相手方に写真をネット上に公開していいかとか聞けないですし、多分ライブって基本写真撮影禁止ですよね?あんまライブに行かないので、その辺の常識がわかんない・・。ということでライブパンフレットと私。(はい、そこのあなた!そんな写真いらないとか言わない言わない))

ライブ、てっげよかったです(☆゚∀゚)
スタートのテンポの速い曲は、超かっこよかったし、トークもおもしろくとっても楽しい時間でした。
個人的には、「バスのうた」が気に入りました。
かわいくかっこよかったです☆
宮交バスに乗って、楽しくお出かけしたいと思っちゃう感じ。
是非、宮崎交通のCMに使って欲しいです

M.M.T.P.③
ライブ後、「LIVE ACT FOR MIYAZAKI」のDVDを買いました。
このDVDの売り上げは、県内の台風被災地への義援金になるとのこと。
(昨夜、いつもお世話になってますショットバー「ポトリージョ」の松田さんと、ちょうどこのDVDの話をしてたところでした。買いましたよ!松田さん。)

今日は、最高に楽しい夜になりました

崎田恭平

自分がどんな生き方をしたいのか。

屋形船
まずは、ここ数日を書きます。
土曜は、前回のブログにも書きました古墳まつりの作業をやった後に、夕方に宮崎に戻り、大淀川の屋形船飲み会に行ってきました。
(←大淀川から見える宮崎観光ホテル。)
屋形船に乗って、宴会するのは初めてでした。
いろんな世代の方、いろんな分野の方が来ていらっしゃって、刺激的な時間でした。

その後、そこに来てた若手で二次会に。
(この日来ていらっしゃった「宮崎の三木谷」とも呼ばれている若手IT企業家の方に、みらいフォーラムの講師をお願いしましたら、お引き受けくださいました。日程など正式に決まりましたら、またブログに書きます。)

二次会後、一緒に飲んでた着物着付け教室先生のたっちゃん(←「外山たつみHP」 宮崎日日新聞で毎週日曜にコラムを連載中)に家まで送ってもらい、久しぶりにそのままいつもの人生相談(笑)。
たっちゃんに最近たまってたいろんな事を相談しました。
最近は回数が減ったけど、昔からよく夜中に色んな話を聞いてもらってます。
頼りにしてるお姉さまです。

古墳のぼり
日曜は、朝8時半過ぎに西都に行き(2時間しか寝る時間が無かった・・)、前日に引き続き西都古墳まつりの作業。
この日の作業の段取りは、総務副班長に任せていたのですが、素晴しい段取りで予定より早く終えることができました。
古墳まつりまで、もうあと少し。
いろいろ準備できてない事もまだまだたくさん・・・・。
(田爪実行委員長ゴメンなさい。)
『西都古墳まつり』は、11月3、4日の土日に開催されます。
3日夜の「たいまつ行列」「炎の祭典」は本当に素晴しいです!みなさま是非遊びに来てね。

ジェームス
月曜の今夜は、まずは消防団の集まりに行き、そのあと孝英(←小松孝英HP)に誘われ、居酒屋「グリーンルーム」に行ってきました。
アメリカ人のジェームスを初めて紹介してもらい、一緒に飲みました。(今夜は、お酒は飲んでませんが)
鹿児島の教育委員会にALTとして3年いて、宮崎に移って2年のジェームス。
今は、英会話教室で働いていて、孝英と同じく絵を描いています。
日本語上手で、明るくあったかい感じのする人でした~
もっともっと仲良くなりたいなと思いました

今夜、ちょっと元気の無かった私に、孝英がくれた言葉。
「悪名は無名に勝る」
いろんなところで活動してると、他の人のいろんな見方(評価)が聞こえてくる事があります。
もちろん周囲の人に評価してもらうために活動してるわけではありませんが、いろんな雑音に色々考える事もある小さい私です。

悩んでいる私を見て、心配してくれる仲間は本当にありがたいものです。
「周りになんて言われようが、最後に成功すれば全部チャラよ」と笑い飛ばしてくれる孝英。
自分の才能を信じて、一生懸命努力して前に進んでいる孝英らしい言葉やね。
ありがと。頑張ります。

大学時代、児童養護施設にボランティアで通ってた頃、自分なりに一生懸命子供たちと接する中で、見ることのできる子供たちの笑顔というのは、本当に心から嬉しく、やりがいを感じることができました。
理系の大学で学んでいた私ですが、自分がしたことで相手が喜んでもらえることを直接感じれる仕事をしたいなと思い、技術者の道から方向転換しました。
(もちろん、技術者や研究者の仕事も、ものすごく社会に貢献できる仕事だし、人を幸せにできる仕事だと当時も今も思ってます。ただ当時の私は、人の喜んだ顔を「直接」分かりやすく感じれるような仕事に就きたいと思いました。)

上に全ては書いていませんが、ここ数日も、いろいろな人に会い、いろんな事を感じました。
厳しい世界で生きている方、華やかな世界で生きている方と直接会って感じたことなどなど・・。
そんな毎日の中で、最近特に、将来について考え込んでしまってます。

学生時代に感じていたこと。今、実際に社会人になって感じること。
自分がこれからどういう生き方をしたいのか。

・・・なんだか、ブログとしては全然うまくまとまらないですね。
最近ある人から「繊細なんだな」と言われました。
ボク、実は繊細なんです・・・(笑)

何十年後、自分の人生に後悔することだけはないよう、自分が何にやりがいを感じ、どういう生き方をしたいのかをしっかり見極めようと思います。
これからも悩み続けると思うし、答えはまだ見つかりませんが、少なくとも今は、今という時間をしっかり生きねば。

崎田恭平