「﨑田の思い」カテゴリーアーカイブ

人生の分岐点

まだまだ若い私ですが、今までの人生において、分岐点は2回あったように思います。

一つ目は、高校を卒業するとき。
第一志望の大学に落ちてしまい、浪人するか、合格していた防衛大に入学するか悩んだこと。
父は、防衛大を強く勧めました。
あんなに父と激しくケンカしたのは、あのときが初めてだったように思います。
最終的には父が折れてくれ、浪人させてくれました。
父に本当に感謝しています。

(よく考えたら、浪人後にも分岐点がありました。
東京の私立大に行くか、福岡の国立大に行くか。
現役のときも私立には合格していたのですが、弟が2人いたので、両親から私立ではなく国立じゃないと行かせられないと言われていたのもあり (まあ、現役のときは自分も私立に行く気は無かったですが)、そのときは悩みませんでした。
浪人後に合格していたのは慶應で、父が、恭平がそこまで頑張ったのなら自分も頑張ると、慶應に行きたければ行ってもいいと言ってくれたので悩みました。
結局、学科が、九大がエネルギー科学科(学際系)、慶応が機械系だったことが一番の決め手となり、かなり悩みはしましたが九大を選びました。
ちなみに『学際系』と書きました「エネルギー科学科」についてですが、もちろん「エネルギー」にそんな意味はありません。「学際」の「際」は、「国際化」の「際」と同じ使い方で、学問領域の枠を超え、広く理系のいろんな分野を学び、理系のゼネラリストを育成しようという学科です。
機械系、電気系、材料系、土木系、原子物理学、流体力学・・などなど、大学で学びながら色んな分野を知った上で、あらゆる理系分野に進むことが可能な学科だったのに、今現在、全然違う職に就いてます(笑)
東京で大学生活を送っていたら、また違った人生になってたかな?)

二つ目は、理系の大学院に進み、技術者か研究者として生きていくか、事務屋として行政マンとして生きていくか悩んだこと。
昔のブログ6/28「もっともっと走らなきゃ」7/11「今、思うこと」にもチラッとそのときのことを書いてます。
学生時代に、児童養護施設にボランティアに通った経験から、今の道を選ぼうと思うようになりました。
当時、実験や研究に追われながら理系人として6,7年なんとかやってきて、しかも浪人までして入った大学。
エンジニアとしての就職先は選べるくらいたくさん選択肢がある中で、付け焼刃の法律や経済の勉強で、法学部や経済学部の連中と戦うということには、非常に不安とリスクがありました。

今日は、なんでこんなことを書いたかというと、ある方からある話をしていただき、いろいろ考えさせられたからです。
今、私が考えている分野ではなく、違う分野に興味を持って突き進んではどうかとのこと。(←かなりアバウトに書いてますが)
その方からいただいた言葉は全くその通りで、私の考えの甘さも含め、いろんな指摘をもらいました。

私が出した結論は、今は、目の前にあることについてしっかりと取り組み、一つ一つ積み上げていくということ。

特に、二つ目の分岐点の時がそうだったのですが、受け持っていただいた教授からも反対され、研究室の先輩方や同級生からも「あいつは大丈夫なんか?」という目で見られ、自分で自分を客観的に考えてみても危ない橋だとは分かってはいたのですが、不思議と迷いはありませんでした。
なんとかやれるという根拠のない自信が自分を突き動かしてくれました。
「今、この道だ」と思えたのです。
(思い込みが激しく、意外と頑固な私です。)

・・・なにが言いたいんだって感じですが、自分でもこれ以上どうまとめていいのやら(笑)。(分かる人には分かるかも)
ブログは、人を傷つけたりしない限りは、自己満足でかまわない場と思ってますので、お許しを。今日はこの辺で。
眠くなってきました。オヤスミナサイ。

崎田恭平

各分野で活躍する仲間たち

月に数回、一緒にワイワイ遊んだり、飲みながら語り合ったりする友達がいます。
そのメンバーは、画家、カメラマン、デザイン関係の仕事、居酒屋経営、(もうすぐ)社長などなど、その分野は多岐にわたります。

数年前に、画家やプロのカメラマン、デザイナーなど、宮崎の若手アーティストたちが集まる会があり、たまたまそれにちょっと行く機会がありました。
公務員である私は、全く共通の話題を見つけることができず、戸惑うばかりだったのですが、自分の能力を武器に、可能性を信じて突き進もうとする彼らは、とても輝いて見え、非常に刺激を受け、俺も負けていられないと心から感じました。

それから付き合うようになった彼らの存在は、今の自分にとって、本当にかけがえのないものになってきました。
いつも語りながら思うのは、お互い歩んでる道は違うけども、信念を持って、自分を信じて、その道を突き進むなかでぶつかる壁や悩みは、共通のものがあるなということ。
だから、まったく話が合いそうもない職業同士なんだけど、深く熱く語り合えるのだと思います。
道は違えど、切磋琢磨しあえるライバルです。
・・・いつの日か、このメンバーがそれぞれの分野の第一線で活躍して、宮崎を引っ張っていく日も夢じゃない!?かな(笑)
しろうさん飲み会(将来の日本を代表とする社長と画家とオレ(・・・俺はどうなるかな?(笑))

昨夜は、Mfnetの取材を、テレビ局と新聞社から受けました。
テレビ局は、UMKでして、今日の夕方のニュースで流れるかも。よければ見てみてください。新聞社は載ったときにまた書きます。

崎田恭平

明日は・・

県庁内の不祥事でご迷惑とご心配をおかけしております。
今回の件ように、県庁に関わることについて言及するかどうか正直悩んでいるのですが、このブログを始めた目的としては、「みやざきみらいフォーラム」を運営する中で感じる事を書こうと思ったからであるので、この場では発言しないつもりでいます。ご了承ください。

明日は、みやざきみらいフォーラム第24回講師であります古谷さんのところに、スタッフで行こうと思っています。
北郷町の「農園ぴくにっく」でのグリーンツーリズム体験!
私は、農園ぴくにっく、というか古谷さんご夫妻の大ファンです。
明日は本当に楽しみにしています
最近、いろんなことに追いかけまくられているので、ゆっくりとした時間を過ごしたいと思ってま~す。温泉にも浸かって、心と体の休息をしてきます。

・・テレビをつけながら、このブログを書いています。
虐待児や育児放棄を受けた子供たちを取り上げた番組が始まりました。
この子達と真剣に全力で向き合う先生が紹介されてます。

実際に仕事として子供たちに接していらっしゃる方々の感覚には、もちろん全然及ばないと思ってますが、私も学生時代の4年間、週に何日か児童養護施設で子供たちと接してきたので、少しだけは、子供たちと真正面から向き合うことの大変さと、一生懸命向き合って子供が笑ってくれたり、心が通じたんじゃないかと感じれたときの嬉しさが分かるつもりです。

私が自分なりに習得したと思ってる子供たちとの接し方のコツは、自分をさらけ出して、何をしても受け入れるよという気持ちでいること。お前のことが好きだから遊びに来てるんだよと普段から思い、時々伝えること。
敏感な子供は、ちょっとでも心に壁を作ってると、すぐ感じ取られてうまく接せれなかったりしました。
でもまあ、子供たちはみんないい子たちだし、自分も遊ぶのが楽しくて通ってたので、いっつもなんだかんだで楽しかったなー。
基本的に私は精神年齢が低いので、ほんとに無邪気に同レベルで遊べたから、けっこう人気者だったと思います。(えっ、自分で言うなって?ていうか精神年齢が低かろうから納得だって?(笑))
最低でも週に1回は子供たちと遊ばないとムズムズしてました。

高校受験のための家庭教師も2年目から始まりまして、ただ遊ぶのとは違い、結構大変でした。
一般家庭の家庭教師との違いは、一般家庭の子供たちは、親が雇った時点で一応なんだかんだ言っても家庭教師が来ることは同意してるので机には座ってくれますが、施設ではそんなことそもそも同意してないので、「家庭教師するぞ~」と言っても「いや~」と走って逃げられ、最初の頃は鬼ごっこだけで2時間が過ぎたりする事もありました。
でも、この家庭教師を子供と何度も衝突などもしながら1年間続けると、なんとも感慨深いものがあって、子供との間に、なんだかんだで通じ合えているような空気が出てきたりもして、やりがいがありました。

今でも連絡取ってる子供もいて、何してるのかなってなんだが会いたくなってきたな。
福岡(大学は福岡でした)に次行くときは、久しぶりに訪ねていこうかな

崎田恭平

『今、思うこと』 & やっとカウンター設置しました

最近、12時を回ると眠くなって、ついつい寝てしまいます・・。
疲れが取れない感じです。
「まつりえれこっちゃみやざき」まであと少し。がんばらんば。

・・でも、台風が気になるところ。
まつり実行委員としても気になりますが、行政マンとして災害が起きないかが心配です。
九州に近づかず、それてくれる事を祈ります。

カウンターを設置しました!
今まで何度かカウンター設置を試みたのですが、ここのブログの会社のカウンターでは一日前の分が表示されるだけで、いわゆる普通のカウンターをつけるには、自分でHTMLをいじらねばならず、パソコンが弱い私には非常に難しいミッションでした。(お恥ずかしい)

それでは、今日の本題『今、思うこと』に入ります。
昨夜は部屋に帰り、晩ご飯を食べたあと、祭りの準備をやろうか、みらいフォーラムの書類を作ろうかと、自分を奮い立たせようと思ったのですが、なんだかその気力が起きませんでした。

疲れがたまってるのもあるのだと思いますが、多分大きな理由は、こないだの土曜、画家やカメラマンの友達と朝まで話した内容が心に引っかかってるからかなと思ってます。
自分がなぜ県庁に入り、いろいろ地域活動をするようになったかについて聞かれたので、大学時代に児童養護施設にボランティアに通っていたときの話をしたのですが、今になってそのとき話したことを自分自身がいろいろ考えさせられてます。

理系の大学に通ってましたので、大学院に進むか、一般行政職の行政マンとして方向転換するか悩んだ末、県庁を目指すことに決め、勉強を始めたのはいいのですが、卒業研究や学会での発表準備に追われ、初めてする法律や経済の勉強が思うように進みませんでした。
そして春を迎え、大学院入学の時期がきて、腹をくくろうという事で入学を辞退したのですが、その頃になっても模擬試験の成績が振るわず、崖っぷちで不安でたまらない中、自分を奮い立たせてくれたのは、大学時代ずっと通っていた児童養護施設の子供たちの顔が頭に浮かんだからでした。

試験の日まで残りわずかだったので、少しの時間も惜しかったのですが、直前になっても、少なくとも週1回は施設に通い、子供たちと遊んだり、勉強を教えたりしてました。
純粋に楽しい時間なので、気分転換にもよかったのですが、それだけじゃなく、自分が何のために理系の道から方向転換して、行政マンになろうとしているのかを再確認でき、改めてまた次の日から頑張ろうと思うことができました。

(その後も、就職のため宮崎に帰る直前までどっぷり浸かりまして、最後の数ヶ月は週4,5回行ってました(笑)。)

そして今、何のために地域活動を頑張ってるのか。
もちろん、学生時代に子供たちと接してきたのは自分自身が楽しいからというのが大きくあるし、今も自分自身が楽しいからであるのは間違いないのですが、誰のために頑張っているのだろうかと、なんか少し考えてしまいました。
うまく言えてませんが。

今のこの時期に、土曜の夜のような時間を過ごせたのは、いろんな意味でよかった気がします。
改めてこれからどうするかよく考えてみたいなと思う今日この頃です。

崎田恭平

※Mfnetの報告は明日以降書きます。

もっともっと走らなきゃ走らなきゃ

仕事から帰ってきて、風呂入ったり、電話がかかってきてついつい楽しく話してたりしてたら、もうこんな時間。
やっぱり時間の使い方がなってないね(汗)。

でも、ぼーっとしたり、楽しく人と話をしたりするという時間は必要だなとも思う。
ぴんと気持ちを張ったままじゃ壊れちゃうしね。

あーでも、仕事もまだまだうまくこなせてないところもたくさんあるし、祭りは近づいてるし、みらいフォーラムも次をやらなくちゃだし、Mfnetもおもしろくなってきてるし・・・とか考えちゃって、一方ではすごく焦ってる。

今、なんだかんだでしっかり頑張りたいと強く思ってるのは「仕事」です。(とても当たり前ですが。)

あくまで今自分がしてる課外活動は趣味というか楽しみとしてやってるので、普通の人が休みに映画見たり、ドライブしたり、スポーツしたりという感覚にとても近いのだろうと考えてます。

あー、仕事をしながら、日々自分の未熟さを感じ、もっともっとちゃんと仕事ができるように頑張らなきゃ頑張らなきゃと焦る気持ちの毎日です。

とかなに書いてるか分からなくなってきた。・・・ブログは、どうしても夜中に書くことになるので、なんかとりとめもなく書いてしまい、夜中に書いたラブレターを、冷静になってる朝方読み返してみたら恥ずかしくて破り捨ててしまうような感じになってそうで怖いですね。

ブログを久々に書くと、なんか悩みとかあって書いてなかったの?とか心配してくださってた方もいらっしゃってたようで、心配してもらえてた事が分かってちょっと嬉しかった(笑)

今日はほんととりとめがない内容になってまいりました。

タイトルのとおり、もっともっと走らなきゃと考えた夜になりましたという事を書こうとしたけど、なってないね?

昼間、知り合いにちょっと用事があって、電話したら全然話が通じなくて、間違えたのかなと思い、年上でもあるその人に何度も「○○さんですよね?」と確認すると、「○○です・・」との返答。
うーん、どういうことだとよく考えてみたら、同じ名字の大学のサークルの後輩に電話してました。(携帯の電話帳で隣にあった同じ名字の彼に電話してしまったモヨウ・・)

同じ大学だけど、彼は法学部、私は工学部で、理系から一般行政職を目指してた私は法律の考え方など基本的なことが分かってなかったので、国家一種を目指してた後輩の彼に、よく夜でも突然押しかけて勉強教えてもらってました。

大学時代はボランティアサークルに入ってまして、私は児童養護施設に週に数回通い、子供たちと遊んだり、勉強教えたりし、後輩の彼は知的障害のある子供の施設訪問と児童相談所でのアルバイトをしてました。

私は、そこでの経験がきっかけとなり、技術者として生きていくのではなく、家庭の事情などで、同じスタートラインに立つ事さえ難しい子供たちがいる現状を少しでも改善できるような仕事に携わりたいと思うようになり、行政マンを目指すようになって、県庁に入りました。
後輩の彼も、同じサークル活動する中で、同じような思いを持ったのだろうと思います。彼は、見事、国家一種に合格し、今、厚生労働省で働いてます。
(確か、この年に九州で国家一種で採用までつかんだ事務職は彼だけでした。)

普段は大人しそうだけど、しっかり先輩の私にも自分の意見をぶつけてくれ(特に飲むとそうなった(笑))、私が卒業するときは、一緒にゆっくり話したいと言ってくれて、確かもつ鍋を食べた気がします。

今日、間違い電話をしてしまったのをきっかけに、学生時代に彼といろんな将来の夢の話などをしてた事を懐かしく思い出しました。

国と地方で分かれて数年仕事をしてきた今、またじっくり語り合いたいなと思った夜でした。

そのためにも、もっともっと走らなきゃ走らなきゃ。
(うまくまとまったかな?(笑))

崎田恭平